稲武
いなぶ

塩の道の中継所

稲武は名古屋と信州を結ぶ伊那街道の宿場町。軒を連ねる2階建ての商家が、往時の繁栄ぶりをしのばせます。

【1】平入り商家が途切れずに並ぶさまは圧巻です。
【2】表に看板を造作した家が多いのは、古い町並みとしてそれほど認知されていないせいでしょうか。しかし看板は、商店街として生き続けていることの証でもあります。
【3】街道に面して蔵を建てた家はほとんどありません。数少ないこの1軒は、塩の中継ぎ問屋だった大和屋で、いまも運送業を営んでいるようです。

稲武は名倉川の東の稲橋(いなはし)、西の武節(ぶせつ)の総称。伊那街道の宿場は武節に置かれましたが、町並みは川を越えて稲橋まで続いていたため、江戸時代より「稲武」と総称されていました。1940(昭和15)年に旧稲橋村と旧武節村が合併して稲武町となり、平成の大合併で豊田市に編入されてからも、稲武は広域地名として残っています。


名倉川。左が武節

丘陵を横切る街道沿いに家が連なる

この稲武を通る伊那街道は、名古屋や三河湾地方の産物を信州へ届け、また、信州産の木材や薪炭(しんたん)などを沿岸部へ送る道でした。信州へ運ばれた産品の中で重要だったのが、内陸国では採れない塩です。このため伊那街道は「塩の道」とも呼ばれました。

塩の搬送に供した一軒が大和屋です。本業は材木商でしたが、江戸時代から明治時代にかけて塩の中継ぎ問屋も営みました。現地の解説板によると、塩を置いた同家の土間では、乾燥期になるといまでも塩が吹き出てくるのだそうです。


大和屋。1階、2階ともに格子を入れる

間口11間の家

稲武宿は物産を運んだ人馬を交換する継立宿でしたが、旅籠を思わせる家もありました。現在の町並みは本2階建てで間口6間ほどのものが中心。そんな中、左写真のような大規模な家も見られました。


稲武の町並み


2階に格子を入れた家。旅籠だろうか


【住所】愛知県豊田市稲武町(字タヒラ)、武節町(字シロ山、字屋敷、字ソト田、字下ハリ原、字車田)
【公開施設】なし
【参考資料】
『角川日本地名大辞典(23)愛知県』角川書店、1989年

2014年5月7日撮影


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