八帖
はっちょう
八丁味噌のふるさと
岡崎城から西へ8町離れたことが名の由来という八帖は、味噌醸造の地。ここでつくられたのが八丁味噌で、いまも2軒の醸造家が営業を続けています。 |
【1】八帖は矢作川河口に位置し、地の利を生かして大豆や塩を仕入れやすかったことから味噌醸造が発展しました。家や蔵が石垣の基壇の上に建てられているのは、河口ゆえの洪水リスクを取ってのことでしょうか。 |
岡崎は東海道の中でかなり特異な地割をもつ宿場町で、「岡崎宿二十七曲がり」と呼ばれるように、道が27カ所で折れ曲がっていました。城下町でもあることから防衛能力を高めるためで、いまも散策コースになっていますが、残念ながら旧宿場町に往時の町並みはほとんど残っていません。 |
旧東海道・岡崎宿に残る古い家 |
大田家(まるや)の建築群 |
その代わり、宿場の西の外れの八帖町では古い商家や土蔵を見ることができます。いずれも岡崎名物の八丁味噌を醸造する大田家(まるや)と早川家(カクキュー)の建築群です。 |
八丁味噌は一般の味噌(米味噌)とは異なり、大豆のみでつくられます。矢作川の河口に位置する八帖村は、原料となる大豆や塩を搬入しやすく、また、醸造した味噌を搬出するうえで有利な土地だったため、早くから味噌づくりが行われました。大田家は延元2(1337)年、早川家は正保年間(1645〜48年)の創業といい、正統な八丁味噌の流れをくむのは現在この2軒だけです。 |
味噌の醸造家のほかにも古い家が見られる |
八丁蔵通り。南から北を向く |
早川家では敷地内の本社事務所と本社蔵を国登録有形文化財に登録しています。光円寺に向かい合う八丁蔵通りにも、下半分を板貼りとした土蔵が連なり、圧巻の町並みを見せていました。 |
早川家(カクキュー)の建築群 |
2014年12月15日撮影 |