半田
はんだ

水面に映るぬばたまの

知多半島中東部の半田は株式会社ミツカンの本社所在地。同社の倉庫が半田運河に面して建ち並び、古い町並みをつくり出しています。

【1】阿久比川の排水路として整備されたのが、この半田運河です。
【2】半田は江戸や大坂に通じる海運業の拠点として栄えました。運河に面して巨大倉庫が建ち並ぶ光景は、海港都市としての風格にあふれています。
【3】外壁の黒はコールタールの色。潮風による腐食から防ぐために塗られています。

半田は江戸時代にさかのぼる酒づくりの町。酒造家は江戸時代前期の元禄10(1697)年に17軒、幕末の文久2(1862)年には75軒を数えました。酒造家が増えたのは、農民年貢に基礎を置く尾張藩が、財政の行き詰まりを打開しようと奨励した結果だといわれています。


中埜酒造の施設を利用した國盛(くにざかり)酒の文化館

半田の倉庫群。後ろにミツカン本社がのぞく

日本酒を搾ったあとには酒粕が生じます。当時、酒粕は利用価値のないものとして見過ごされてきましたが、文化8(1811)年に酒造家の1軒、中野(中埜)勘次郎が酒粕を使った粕酢の製造を始めました。これが江戸へ送られると寿司屋で好評となり、江戸の寿司文化形成の一翼を担いました。

中野家では販路拡大にともない設備を拡張し、現在の株式会社ミツカンの基礎がつくられました。
ミツカンはいまも本社を半田に構え、半田運河沿いに古い醸造蔵を並べています。醸造蔵は潮風による腐食を防ぐため、外壁はコールタールで塗られ、独特の黒色をしています。運河に沿って黒塗りの大倉庫が連なる風景は「圧巻」の一言に尽きます。


小栗家住宅

ミツカンの倉庫群の北側には、幕末〜明治初期に建設された小栗家住宅をはじめ古い建築物が残されています。このあたりの町並みも黒板壁の家が多く見られました。


國盛酒の文化館前の町並み


小栗家の並びの黒塀の町並み


JR半田駅東口の町並み


JR半田駅北西のお屋敷


【住所】愛知県半田市荒古町1・2丁目、中村町1・2丁目、東本町2丁目、新栄町、源平町、東雲町ほか
【公開施設】小栗家住宅(蔵のまち観光案内所)、國盛酒の文化館(※要予約)
【参考資料】
『角川日本地名大辞典(23)愛知県』角川書店、1989年

2014年12月14日撮影


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