足助
あすけ

三河内陸の在郷町

足助は愛知県内陸を通る伊那街道の在郷町で、鉄道時代の到来後も東加茂郡の経済の中心として栄えました。今日、街道沿いに古い商家の町並みが残されています。

【1】足助の町並みの特徴としてしばしば説明されるのが、妻入りと平入りの混在。なるほど、これほど妻入りの破風が目立つ街道町は全国的にも珍しいかもしれません。
【2】もうひとつの特徴が、表の街道から裏へ抜ける小路の多さ。ここに、足助を紹介するガイドブックで必ず掲載されるマンリン小路があります。
【3】家々はしっくい塗りの大壁造りが基本。安永4(1775)年の大火後、防火性の高い家づくりが奨励されました。早くから建ちの高い2階建ての家が建てられたことも足助の特徴です。

尾張・三河と信濃南部を結ぶ伊那街道は、主に塩を運ぶ「塩の道」でもありました。足助は街道沿いの重要な中継点であり、ここで塩が積み替えられました。このため街道を運ばれた塩は「足助塩」とも呼ばれました。
足助の町は足助川沿いに展開し、街道も地形に合わせて細かく曲がりくねっています。その両側に、妻入りと平入りの商家が並んでいます。


伊那街道沿いの町並み

旧鈴木家住宅。屋根が二段になっている

足助は安永4(1775)年の大火で類焼したため、現存する建物はこれ以降のものです。大火からほどなくして再建された家も多く、たとえば火災翌年に建てられた重要文化財の旧鈴木家住宅では、前下屋と本屋の屋根を別々に掛けた「しころ葺き」という古い外観を見せています。

街道筋の町並みにしては妻入りの家が比較的多いことも特徴で、中には3棟もの切妻商家が並ぶ一角もあります。また、表の商家が平入りであっても、その背後に建つ付属屋は大半が妻入りです。妻入りの建築物が高密度で建ち並ぶのが、足助の町並みの大きな特徴です。


同じかたちの妻入りの家が3軒並ぶ

妻入りの町並み。手前から2軒目は入母屋造り


町並みの東の外れにある平入りの家並み


土蔵が連なるマンリン小路

伊那街道から山側へ抜けるマンリン小路、足助川岸へ抜けるエビヤ小路などの脇道も多く、それらの道の両側に土蔵が連なる光景は見応えがあります。また、足助川岸では一部を懸造りにして離れ座敷を建てている家も見られます。


足助川沿いの家並み

足助には江戸時代の建物も多く残されているのですが、町並みがそこまでの古さを感じさせないのは、個々の家の建ちが高いためかもしれません。詳しい経緯は定かではありませんが、安永の大火後に再建された商家の中には本2階建ての家がとても多いのです。(あるいは後代の増築によるものかもしれませんが)。足助は江戸期の町並みでありながら、垂直性が協調された、独特の町並みを見せています。


莨屋(たばこや)は江戸時代の塩問屋。幕末の建築だが建ちが高い


白久(はくきゅう)商店はかつての呉服屋。文化12(1815)年の建造


三嶋館。天保年間(1830〜44年)の建造で明治期に旅籠を営んだ


【住所】愛知県豊田市足助町
【公開施設】なし
【参考資料】
「新選定の文化財」『月刊文化財』2011年7月号所収
「足助 町並み散策ナビ」豊田市教育委員会教育行政部文化財課足助分室

2014年5月7日撮


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