有松
ありまつ

名古屋の誇り

江戸時代、尾張藩から特産品として庇護され、東海道を行く旅人に向け製造・販売されてきたのが有松絞りです。現在でも有松には絞り業者や卸問屋が残され、その豪壮な町並みに圧倒されます。

【1】天明4(1784)年、有松村をほぼ全焼させた大火が発生しました。その後建てられた家は瓦葺で2階を漆喰で塗りごめ、耐火性を高めました。
【2】有松絞りを商う家は軒行灯を掲げています。
【3】2013年、有松では電線が埋設され、名古屋が誇る町並みがよみがえりました。同時にこの道(旧東海道)は西向きへ一方通行となり、従来に比べ格段に安心して散策できるようにもなりました。

有松は東海道の正式な宿場ではなく、池鯉鮒(ちりゅう)宿と鳴海宿の間宿(あいのしゅく)として慶長13(1608)年に開発されました。その後は有松絞りの産地として発展し、元禄年間(1688〜1704)の好景気に販路を拡大。当時の町並みは天明4(1784)年の大火で焼失しましたが、火災後も店舗、工房、職人住居からなる大規模な屋敷が軒を連ね、その一部は今日に至るまで残されています。


服部家住宅。全国的に珍しいむくり屋根の卯建をあげる

有松は重伝建に選定されていない町並みとして、五指に入るものでしょう。1973(昭和48)年には有松まちづくりの会が発足し、同年には妻籠(つまご、長野県)、今井(奈良県)とともに町並み保存協議会を開催。翌年には町並み保存連盟(現・全国町並み保存連盟)を結成するなど、日本における「町並み保存」の先陣を走り続けてきました。


白漆喰の岡家住宅。幕末の建築


黒漆喰の小塚家住宅と袖蔵。有松でもとくに古い一軒で江戸中期の建築

 

1984(昭和59)年、有松は名古屋市の町並み保存地区第1号となり、以降は伝統的建造物の保存や修景、防災設備の整備、案内板の設置など、さまざまな事業を展開しています。
国の重伝建に選定されていない理由は定かではありませんが、地元では選定の必要性を感じているらしく、1999年には重伝建実行委員会が結成されました。しかしその後の活動は顕在化していません。


電線が消え、見越しの松も存在感を増した


募金で部分保存され、高齢者施設となった中舛竹田荘


竹田家住宅。現在も有松絞りを製造し、百貨店や商社に卸している

一方で「観光地」としての有松の町づくりを推進する有松プロジェクト委員会が組織され、まちづくり憲章の策定や電柱の地下埋設化などを行っています。住民有志の明確な意志と連携さえあれば、重伝建にならなくとも町並みは守られる――。有松の取組みは、そのことを全国に向け発信しているように思えてなりません。


2軒の絞り商家が並ぶ。奥は戦前、手前は戦後の建築


無骨な駒寄せをもつ棚橋家(左)とツシ2階の山口家


商家と袖蔵の町並み。奥が服部家住宅


【住所】愛知県名古屋市緑区有松町
【公開施設】なし
【参考資料】
有松プロジェクト委員会
『有松町並み調査報告 名古屋市緑区有松町』名古屋市教育委員会、1975年
『写真で見る民家大事典』日本民俗建築学会編、柏書房、2005年

2014年12月15日撮


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