赤羽根
あかばね

海蝕受けた街道筋

かつて渥美半島の南岸にある赤羽根には伊勢街道の関所が置かれていました。海蝕により往時の街道は水没しましたが、古い漁家の密集する集落が残されています。

【1】江戸時代の道は水没しましたが、いまも太平洋の海岸線と並走する道が、背骨のように集落を貫いています。
【2】「市場」の地名が残る一角に平入りの建物が並んでいました。由来は不明。
【3】渥美半島は吹きさらしの土地であるため防風・防砂対策は不可欠。集落の南には樹木が厚く植えられていました。

日本の太平洋側では珍しい、東西方向に延びる渥美半島。その南岸は「片浜十三里」と呼ばれ、50キロにわたって直線状に断崖や砂浜が続いています。この海岸沿いに、かつて伊勢街道が通っていました。江戸時代の旅人たちは半島の先端から船で志摩半島に渡り、伊勢神宮を目指したのです。


赤羽根集落の背後に広がる「片浜十三里」

道の両側に長屋門が建つ

しかし渥美半島は海蝕が甚だしく、江戸時代の街道は水没しています。当所に置かれていた赤羽根関所の場所も、いまでは定かではありません。
赤羽根は街道集落であると同時に、地引網漁を主体とする漁村でもありました。現在では沖合いで漁を行い、とりわけシラスが名物として知られています。

古い家は赤羽根のほぼ全域に残されています。道は細く曲がりくねり、両側に家が密集する漁村ならではの光景が見られます。ほとんどの家は長屋門と主屋の2棟からなる渥美半島の典型的な構造でしたが、字市場付近だけは例外。ここは地名の通り、かつて市が立ったと推定される場所で、商家風の平入り民家が連続していました。


字市場の町並み

格子戸のある家


不規則に分岐する道。漁村の醍醐味


この常夜灯には明治三十年十一月の記銘がある

また、赤羽根集落で面白いと感じたのが常夜灯です。はじめは「沖合いを航行する船の目印か」とも思いましたが、家に囲まれた路地裏にも設けられているので、夜道を歩く人のためのものでしょう。読み取れた記銘には明治時代の日付が刻されていました。門前町でも、宿場町でもないのに、これほど常夜灯が多い集落は珍しいと思いました。


路地裏の常夜灯


石垣や生垣が多いのは風除けのためか


夕暮れどき、常夜灯に火がともった


【住所】愛知県田原市赤羽根町字市場、字根上り、字堂瀬古、字枝古ほか
【公開施設】なし
【参考資料】
『角川日本地名大辞典(23)愛知県』角川書店、1989年

2014年12月13日撮


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