宇津ノ谷
うつのや

修景のお手本

東海道の難所のひとつが宇津ノ谷峠。その入口にある宇津ノ谷集落には、江戸時代、旅人たちが一服する茶店が連なっていました。現在は一般的な2階家が並んでいますが、圧倒的な修景事業によって歴史的風致が創出されています。

【1】宇津ノ谷では歴史的景観保全事業で用いられるさまざまな修景技法が採り入れられています。まずはこの舗装。1999年、アスファルトから石畳に変更されました。
【2】各戸には屋号の看板が掲げられています。これも古い宿場町ではよく見かける手法です。
【3】建物の外壁は下見板張りで直されました。ほぼすべての家で採用されていて、統一感のある町並みが生まれました。

東海道20番目の宿場・丸子(まりこ)と、21番目の岡部の間に、標高170メートルの峠越えの道がありました。この峠の東側で、旅人を休ませる茶屋などを連ねたのが宇津ノ谷です。集落は丸子川の北岸の「下の集落」と南岸の「上の集落」の2地区に分かれ、両者はおよそ150メートル離れています。


宇津ノ谷の下の集落

宇津ノ谷の上の集落

宇津ノ谷の峠越えは古代から官道であり、『伊勢物語』や「新古今和歌集」に採録された歌などにその名が見えます。ここはサッタ峠(静岡市清水区)とともに、古くから東海道の難所のひとつでした。

「上の集落」の中ほどには、豊臣秀吉ゆかりの御羽織屋(おはおりや)こと石川家住宅があります。天正18(1590)年、小田原攻めに勝利した秀吉が羽織を与えたと伝わる家です。現在の建物は当時のものではありませんが、棟が低く、宇津ノ谷に現存するものとしてはかなり古いものでしょう。


御羽織屋

昭和20年代の古写真で散見される茅葺きの家は現存せず、家々もだいぶ改修・改築が進んだようで、多くが2階建てになっています。しかし上述のとおり東海道きっての「歴史の道」であることから景観整備事業に着手したのも早く、1989年には静岡市のふるさと活性化事業により各戸に屋号の標識が掲げられました。

2000年にはまちづくり協議会が発足。増改築の際のガイドラインを設け、既存建物の外壁を下見板張りに直す修景事業が推進された結果、歴史香る景観がよみがえりました。
宇津ノ谷はある意味で修景事業の見本ともいえる地域だと思いますが、明らかに現代風の二階家の外壁が下見板でびっしり覆われているのを見ると、「やりすぎるのもどうかなぁ」と思わなくもありません。景観を継承し、あるいは復元するのは、とても容易なことではないと思い知らされた宇津ノ谷散策でした。


【住所】静岡県静岡市駿河区宇津ノ谷
【公開施設】なし
【参考資料】
静岡市建築総務課->宇津ノ谷地区のご紹介

2014年6月1日撮影


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