城下
しろした

鋸歯状の家並みが語るもの

戦国時代の天方(あまがた)城の城下町である城下には、旧道に沿って家がジグザグに配された鋸歯状の家並みが見られます。なぜこうした家の配置になったのでしょうか。

【1】各家は通りに面して斜めに配され、隣家の壁が通行人にとっての死角を生みます。これは城下町で見られる「武者隠し」と呼ばれる造作です。
【2】居並ぶ家は2階建てで2階に大きめの開口をもちます。中には出桁(だしげた)造りの家も! 宿場町らしい風景です。
【3】1階の庇が板葺きの家がけっこうありました。

城下は中世、今川氏の家臣・山内氏が居城とした天方城の城下町。山内氏は天正2(1574)年に徳川氏に攻められ落城し、その後は廃城となりました。このため城下町としての役目も江戸時代初期には早々に失われ、その後は火伏せの神・秋葉(あきは)神社に参る秋葉街道の街村として再興しました。


城下の町並み

家の前に三角形の空間ができる

城下では多くの家が表通りに対して斜めに配置されています。この家並みについて、参考とした『角川日本地名大辞典』には「天方城の城塁と関係があるものと思われる」とありました。しかし前述のとおり江戸初期には早々に廃城になりましたから、この宅地割は戦国期にさかのぼるものなのかもしれません。

いっぽう『別冊太陽 日本の町並み』には「慶長年間(1596〜1615)に新田開発で西方の山の麓から移り住んだ際、遠く律令時代の条里制に基づいた土地基盤を宅地割りの基本線にした。そのため通りと地割り方向が67度ずれて住居と通りの間に三角状の空地が生じ」たと説明されていました。
これによると鋸歯状の家並みは、天方城とは関係がないようですね。


三角状の空地は今では駐車場代わり

秋葉街道の常夜灯(左)が残る

現在の町並みは江戸時代の秋葉街道の面影をよく残し、道中には天保4(1833)年に建てられた常夜灯も建っています。秋葉神社は防火の神ですが、この常夜灯も防火の祈りを込めて設置されたのだそうです。


町並みの途中で道がカギ型に折れる

旅籠を思わせる大型の家も多かった


【住所】静岡県周智郡森町城下
【公開施設】なし
【参考資料】
『角川日本地名大辞典(22)静岡県』角川書店、1982年
『別冊太陽 日本の町並みI 近畿・東海・北陸』平凡社、2003年

2014年5月8日撮


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