長浜
ながはま

古文書の長屋門

伊豆半島の西の付け根にある長浜は、一見しただけでは何ということのない町並みですが、中ほどにそびえる長屋門が見事。そこには村の歴史を語る貴重な古文書が収められていました。

【1】長浜の象徴、大川家長屋門。10段の石段の上にあり、腰部にはなまこ壁が入れられています。
【2】土台や塀に石を使った家も見られます。伊豆石でしょうか。
【3】こちら側が駿河湾です。長浜は岬の奥に位置する天然の良港で、漁村として、また港町として栄えました。

長浜の歴史は網元だった大川家に伝わる文書によって詳らかにされています。一連の資料は戦国時代から近代にかけてのもので、大川家長屋門で保管されていたものを、1932(昭和7)年、実業家で民俗学者の渋沢敬三が発見しました。


大川家長屋門。江戸時代後期の建築

長浜の木造住宅群

大川家文書のひとつ、天文11(1542)年のものと推定される北条家印判状には、当地の百姓が1貫200文の船役銭(税金)の納入を命じられたという記録があります。このことから、当時すでに長浜には相当数の船があったことが分かります。
仮に室町時代の1貫が現在の貨幣価値で10万円だとすると、1貫200文は12万円。なるほど、かなりの税収だったわけですね。

大川家はこの地域の有力な家系で、永禄元(1558)年の北条家印判状写では、伊豆に住む33人の船方を雇い、清水から東伊豆の網代まで木材を運ぶよう命じられています。下って天正17(1589)年には、当地から伊東まで東海船を届けるようにも命じられています。


主屋のごく近くに付属屋を建てたり、隣家にもたれるように門をつくったり、変わったつくりの家が多い

ツシ2階の古い家

現在の長浜は三津(みと)シーパラダイスやヨットハーバーのある西伊豆のレジャースポットとなっていますが、大川家のある旧道沿いには古い家々が連なっています。多くは木造2階建てで、明治・大正期にさかのぼるものは少なそうでしたが、古文書の里に素朴な家が連なる光景は、心落ち着くものでありました。


集落の南の外れに木造建築が多く残っている

今日の港湾風景


【住所】静岡県沼津市内浦長浜
【公開施設】なし
【参考資料】
『角川日本地名大辞典(22)静岡県』角川書店、1982年

2014年6月1日撮影


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