くんま

秋葉街道の要衝

太平洋と信州を結んだ秋葉(あきは)街道は、秋葉信仰の参詣道であり、また、信州に塩を届ける「塩の道」でもありました。街道沿いの小さな町、熊には、宿場町時代の面影が色濃く残されています。

【1】平入り、総2階建ての家が並び、宿場町としての雰囲気はかなり色濃く残っています。
【2】多くの家が1階の正面に庇を入れています。2階をせり出した出桁(だしげた)造りはほとんど見られませんでした。
【3】2階の窓の腰に欄干が見えます。旅籠建築を思わせるデザインですね。

海のない本州内陸部では古くから塩の移入が死活問題であり、太平洋と日本海の双方から仕入れていました。そのルートとして使われた「塩の道」が秋葉街道です。
現在「塩の道」といえば、三河から伊那(長野県)へ通じる中馬(ちゅうま)街道が、主に地域おこしのキャッチフレーズとして使っています。しかし戦国時代に成立した中馬街道に対し、秋葉街道は、何と縄文時代には原型が整えられていたというから驚かされます。


秋葉街道沿いに家が建ち並ぶ

熊の町並み。阿多古(あたご)川の北側

秋葉街道の名の由来となったのが秋葉山。江戸時代になると火伏せの神様として篤く信仰され、多くの信者が行き交うようになりました。交易路として、また参詣道として栄えた秋葉街道の途上に開かれた宿場が熊です。天保13(1842)年の記録では、当地には旅籠が13件、茶屋が9件あったといいます。

熊はいまでも宿場町時代の面影を色濃く残しています。事前の情報がなく、正直、どのような町並みが残されているのか不安でしたが、まさかここまで立派だとは思いませんでした。


板葺きの庇

熊の町並み。阿多古川の南側

1階の持ち送りに特徴がある

いかにも旅籠然とした出桁造りの家は1軒だけでしたが、ほかの家も本2階建てで、正面には下屋を降ろさない「立方体」。また、表は改装されている家が多く見られましたが、中には江戸〜明治時代の建築と思われるものもありました。
そうした平入りの家が居並ぶ姿は統一感があって美しく、いつまでも残ってほしいと思わずにはいられませんでした。


唯一見つけられた出桁造りの家
ところで熊という不思議な地名の由来には諸説あり、「紀州の人が当地に移住した際、熊野三社を祀ったから」「野獣が多く熊の谷と呼ばれたから」などといわれています。
現地での発音は「くんま」で、当地にある道の駅も平仮名で「くんま水車の里」と表記されていますが、『角川日本地名大辞典』には「くま」とありました。


【住所】静岡県浜松市天竜区熊
【公開施設】なし
【参考資料】
『角川日本地名大辞典(22)静岡県』角川書店、1982年

2014年5月7日撮影


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