垂井
たるい
枡形に旅籠そびえる
江戸から数えて中山道57番目の宿場が垂井です。平入りの商家に交じって、江戸時代に創業した宿屋が、いまなお歴史をつないでいます。 |
【1】宿場町には重要人物が宿泊した本陣・脇本陣があり、外敵にそなえ、町の東西の入口は枡形(ますがた)と呼ばれるクランク状に道が折られました。 |
中山道には比較的保存状態のいい宿場町が残っています。江戸から57番目の宿場、垂井宿もそのひとつ。国道が旧市街を大きくそれたおかげで、昔ながらの町並みが残されました。 |
垂井宿の町並み |
東の枡形にある亀丸屋旅館 |
垂井宿の東の枡形では、江戸時代創業の亀丸屋旅館がいまなお営業を続けています。岐阜県内の中山道で江戸時代にさかのぼる旅館は2軒しかありません(もう1軒は細久手宿の大黒屋)。観光パンフレットには「2階南側の格子、離れの上段の間などがよく残り、脇本陣に準じた上旅籠屋の面影を残しています」とあります。 |
垂井宿にはもう1軒、旧長浜屋という旅籠建築が残っています。こちらは明治以降、旅人の減少にともない酒屋となり、平成に入って空き家になりましたが、「垂井宿の歴史と文化を守る会」が修復し、「垂井宿お休み処」として一般公開されています。 そのはす向かいには文化14(1817)年ごろに建てられた油屋、卯吉(宇吉)家があります。こちらは対照的に明治時代に旅館となったそうです。 |
旧長浜屋(右)周辺の町並み |
江戸時代に建てられた油屋卯吉家 |
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南宮神社参道の町並み |
なお、旧中山道に直交する雨宮神社の参道にも古い町並みが見られます。垂井は宿場町であると同時に、門前町としても賑わいました。 |
2014年2月8日撮影 |