太田
おおた

居並ぶ旅籠建築

中山道51番目の宿場町・太田には、建ちが高く、2階に欄干を設けた旅籠建築が数多く残っています。日本の宿場町は、明治になると商家町になるケースが多いので、このようにいまも旅籠建築が連続する町並みは貴重です。

【1】宿場町ではおなじみ、防衛のため道をクランク状に折り曲げた枡型(ますがた)があります。
【2】建ちが高く、2階に窓を設けているのが旅籠建築ならでは。ただしこの旧小松屋は大正期にたばこ屋となり、表側が改装されています。
【3】宿場町は明治以降も地域の行政・商業拠点となったため、洋風建築が混在するのが一般的ですが、太田宿にはほとんど見られません。唯一の近代建築が、この十六銀行旧太田支店です。

太田宿は中山道の宿駅であると同時に、木曽川に面した軍事拠点としても重要な町でした。江戸から中山道をたどってきた旅人は、太田宿に入る前で木曽川を渡ります。その太田の渡しは、河川の増水などでたびたび中止になったことから、中山道の難所のひとつとされました。当時の馬子唄に「木曽のかけはし、太田の渡し、碓氷峠が無くばよい」とあります。


宿場の一角に、御代櫻酒造の土蔵群がある

旅籠や商家が連なる太田宿

太田脇本陣林家住宅
太田宿は中山道でも比較的旧態をとどめ、古い旅籠建築が並んでいます。うだつをもつ商家も多く、格調高い町並みを維持しています。
脇本陣の林家住宅はほぼ完存し、国の重要文化財の指定も受けました。主屋は明和6(1769)年、隠居屋は天保2(1831)年の建造です。林家は脇本陣を勤めたほか、太田村の庄屋でもあり、そのことをしのばせるに十分な、豪壮な家構えを見せています。

うだつの先端が二重になっている
中山道には、木曽路の奈良井や妻籠(つまご)など、古い町並みがたくさん残っています。しかし現存する脇本陣は、太田宿の林家のみ。建物の両端にうだつを高々とあげ、しかもその先端を二重にデザインするなど、脇本陣としての威厳を示す立派な建物です。
林家の隠居屋。装飾の少ない端正なつくり

旧太田宿本陣門
いっぽう本陣は表門を残すのみですが、この門は立派な反り屋根をもつ雄大なつくり。文久元(1861)年の和宮(かずのみや)降嫁(こうか)に合わせて新築したものです。
東の枡形にある旧小松屋は幕末の建物。お伊勢参りの旅人が宿泊し、当時の記録にもたびたび登場するそうです。太田宿ではほかにも2階が高く、窓を設けた旅籠建築を見ることができます。
旧小松屋の通り土間

旅籠建築が連なる太田宿

珍しいかたちの重層うだつ


【住所】岐阜県美濃加茂市太田本町2〜4丁目
【公開施設】旧太田脇本陣林家住宅(隠居屋は常時公開、主屋は予約公開)、お休み処旧小松家

2014年2月11日撮影


戻る