美濃町
みのまち

屋根をはう龍

明治期まで上有知(こうずち)と呼ばれた美濃町は、うだつの上がる町並み。全国にうだつの町並み数あれど、上有知のものはとても立派! 19軒の家で、高々と天に掲げられています。

【1】うだつは隣家との境目にあります。そもそもは屋根の端を風や雨水から保護するものとして、室町時代に開発されました。次第に土でしっかりと塗りごめられて、防火壁となりました。
【2】うだつは「たかが壁」ですが、しっかりと瓦を葺いて、先端には鬼瓦や破風板、さらには懸魚(げぎょ)まで付けられています。富を蓄えた家は権威の象徴として、次々とうだつを上げていきました。
【3】影になってつぶれてますが……、1階の軒上には火防神(ひぶせがみ)が祀られています。美濃町は水害を避けて丘の上に築かれたため、水が乏しく、防火意識の高い町でした。

全国には「うだつの上がる町並み」がいくつか存在します。徳島県の脇町(美馬市)や貞光(つるぎ町)、長野県の海野宿(東御市)などが主なところですが、そんな中、まるでうだつが美濃町の専売特許であるかのように、美濃町の観光PRで使われていることには以前から違和感がありました。
しかし、実際に美濃町を歩いて納得しました。ここは「うだつの町」を専売特許にする資格があります(笑)。観光パンフレットによると、「全国で最も多く残っている町」なんだとか。


うだつ五連棟家屋

重要文化財の小坂酒造場。むくり屋根のうだつは龍のよう
美濃町の町並みは昭和時代から保存が提唱され、1990年には空き家となっていた旧今井家を市が買い取り、整備しました。その2年後には「うだつ五連棟家屋」が市の単独事業で保存修理され、1999年には国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されました。
うだつの起源は室町時代。家が連なる町並みの場合、敷地いっぱいに家を建てると、突き出た屋根が隣家を侵食してしまいます。それを避けるため、屋根の軒出を押さえなくてはなりませんが、今度は逆に風で軒がめくれ上がったり、雨水が浸透したりという不都合が生じます。そこで、妻壁を屋根より高く上げるようになったといわれています。
右写真の武藤家住宅はうだつをもつ典型的な町家。切妻造りですが、うだつが上がっているため、妻側に屋根の軒が出ていません。

武藤家住宅。うだつが上がっているため妻側に屋根の軒が出ない

旧今井家住宅を中心とする町並み。格子戸がいい
町並み保存のきっかけとなった旧今井家も、うだつを上げる家。江戸時代中期の建築で、間口、奥行きとも15.8メートルと規模が大きく、間取りはなんと「9つ間取り」だそうです。美濃和紙の原料商として栄えたそうですが、これほど大規模な町家は美濃全域でも貴重です。


紙問屋だった旧今井家には、玄関を入ると帳場がある


裏路地の6軒長屋

うだつはもともと簡素な壁でしたが、江戸時代末期になると、次第に権威の象徴として華美に装飾されるようになりました。美濃町には江戸中期の町家から明治時代まで、100年ほどの間につくられたうだつが点在し、さながら「うだつの博物館」といったおもむきです。

左から順に……
1.鈴木家住宅。建築年は不明ですが、簡素なつくりから江戸中期のものだと思います。
2.松久家住宅。こちらも建築年の情報はありませんが、江戸中期でしょうか。破風瓦と鬼瓦がつきました。
3.松久紙店事務所。江戸末期。鳥衾(とりぶすま)、鬼瓦、破風瓦、懸魚(げぎょ)の4つが出揃いました。ただし懸魚はだいぶ控えめ。
4.岡専旅館。江戸末〜明治期。鬼瓦の左を福槌(ふくづち)、右を宝珠とした豪華なつくり。破風板も厚くて立派です。
5.加藤家。うだつの破風がむくりになっています。美濃町ではこれ1カ所のみ。


【住所】岐阜県美濃市泉町、
本住町、加治屋町、魚屋町、俵町、相生町、常盤町
【公開施設】旧今井家住宅
【参考資料】
『未来へ続く歴史のまちなみ』全国伝統的建造物群保存地区協議会編、ぎょうせい、1999年
『滅びゆく民家 屋根・外観』川島宙次著、主婦と生活社、1973年

2014年2月11日撮影


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