川原町
かわらまち

鵜飼、岐阜城に次ぐ名所

岐阜城下、長良川のほとりに町家の連なる一角があります。カフェやギャラリーとして再生された町家が多く、電線が地下に埋設され、古い町並みを生かした町づくりが進められています。

【1】2階正面に水平に渡された材、長押(なげし)が見えます。美濃の町家の特徴で、川原町ではほとんどの家が長押を入れています。
【2】現存する町家はすべて平入り。妻入りは1軒の土蔵を除いて見られません。
【3】袖壁をもつ家も多いのですが、より古い家の中には袖壁のないものもあります。地区中心部(写真奥)に袖壁のない町家が連続する区画があります。

岐阜城下町は戦国時代、斎藤道三により整備されましたが、川原町のあたりは当初は無人の河川敷でした。町家が連なるようになったのは江戸時代に入ってからのこと。江戸中期には、ほぼ現在の規模になったといわれています。
川原町はかつて岐阜市により、重要伝統的建造物群保存地区の選定に向けた保存調査が行われましたが(1981=昭和56年)、選定には至りませんでした。


新たに格子をはめるなど、修景が進んでいる川原町の景観

市のパンフレット「魅力いっぱい岐阜市」(2013年6月版)
大都市の中心市街地において、町並み保存の機運が下り坂になると、その後は開発が進んでしまうものです。ところが川原町では、県と市による「長良川プロムナード計画」の一環として、2001年に「川原町まちづくり会」が発足。住民アンケートによる「空き家があり不安」という声を受け、町家の保存・整備を進めました。あわせて電線の地下埋設化も行い、歴史ある町並みとしてよみがえったのです。
いまでは岐阜市の観光パンフレットの中でも、「鵜飼」や「岐阜城」に次いで紙幅を割いて紹介されています。
さて、川原町を歩いてみましょう。間口の広い平入りの商家がゆったりと並んでいます。妻入りの建物は土蔵1軒だけで、非常に伸びやかな町並みが続いています。道路は全域にわたってゆるやかにカーブし、歩みを進めるたびに景観が変化します。1981年の『旧中川原町並調査報告』にも「この微妙な湾曲は、地域をあるひとつの雰囲気でまとめる大きな役割を担っている」とあります。
川原町中心部。右の家は宝暦10(1760)年頃の川原町最古の建物
古い商家は1階正面に格子をはめ、その上に庇を乗せています。かつてはほとんどの家の庇に幕板が付けられていましたが、いまでは数軒のみです。カフェ&ギャラリー「川原町家」として再生された民家は、間口こそ狭いものの立派な格子や幕板があり、古風な姿をとどめています。
庇の下に幕板をもつ「川原町家」

川原町の町並み。すべて平入りだが、屋根の高さや勾配は家ごとに異なる
   

妻入りの土蔵がある一角。2階には長押をまわす
川原町の町家で最も特徴的なのが2階部分。ほとんどすべてが真壁造りです。大壁造りもないことはないのですが、木部の凹凸を残したまま壁を塗っているため、それらの部材があらわになっています。そして柱を押さえる水平材の長押を回しています。
『旧中川原町並調査報告』によると、これは美濃地方周辺の特徴とのことですが、なぜこうした造作をしているのでしょうか。それについては報告書にも説明がなく、詳細は不明です。


【住所】岐阜県岐阜市湊町、玉井町、元浜町
【公開施設】なし
【参考資料】
『旧中川原町並調査報告 湊町・玉井町・元浜町』岐阜市教育委員会、1981年

「川原町まちづくり会」(PDF)

2014年2月8日撮影


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