釜笛
かまぶえ

輪中の暮らし

堤防で集落をぐるりと囲んだ輪中(わじゅう)の中では、洪水にそなえて土台を高く築いた家や蔵を見ることができます。水屋(みずや)と呼ばれ、堤防が破れたときには避難小屋となりました。

【1】高さ4〜5メートルの土台の上に蔵が乗ります。洪水時、避難小屋として機能した水屋と呼ばれる建物で、中には貴重品のほか非常食が保管されていました。
【2】水屋がつくられたのは庄屋など、地域の有力者の家だけでした。そのため、立派な屋敷構えの中に、忽然と水屋がそびえ立つ光景をよく目にします。
【3】水屋以外の建物も、多くが数十センチの石垣の上に建てられています。

濃尾平野は木曽川、長良川、揖斐(いび)川という3つの大河の河口にあたり、さらに何十という中小の河川が網目状に走っています。この地に住む人々を悩ませてきたのが洪水でした。河川敷に土手を築く技術のなかった時代にあって、人々が考え出したのは、田畑もろとも集落を堤防で囲む方法でした。こうして江戸時代初めごろ、輪中が誕生したのです。


大垣市輪中館に展示されている輪中の模型

見上げるほどの土台にそびえ立つ水屋
輪中の数は明治時代で82を数えました。釜笛はそのひとつの大垣輪中の中にある集落ですが、堤防に囲まれているからといって安心はできません。堤防が切れたときにそなえ、人々は避難用の小屋を建てました。それが高さ4〜5メートルの土台に乗った水屋です。
しかし水屋は、すべての家に建てられたわけではなく、地主や庄屋など、土地の有力者の家にのみ建てられました。
水屋をもつ釜笛の豪邸

もう1軒、水屋のある釜笛のお宅
釜笛は岐阜・三重県境の輪中地帯の中でも、とくに多くの水屋が残る地域です。2003年には文化庁が、文化的景観の重要地域として調査しました。
2015年1月現在文化財の指定は受けていませんが、住民の合意が取れれば、近い将来、国の「重要文化的景観」に選定されることと思います。
   
釜笛の隣町・入方では、明治時代に建てられた旧名和家住宅を輪中生活館として公開しています。
ここでは貯蔵専門の「土蔵式水屋」のほか、住居を兼ねた「住居式水屋」を見ることができます。主屋と住居式水屋は、避難ルートにもなった渡り廊下で結ばれています。水屋が高台になっているため、途中に階段が設けられているのが特徴。こうした渡り廊下は「どんど橋」と呼ばれ、水屋とともに輪中独特の建築構造といえます。

住居式水屋から主屋を見る。2棟を結ぶどんど橋が見える

どんど橋。洪水時にはここが避難ルートとなった

主屋の背後に玉石垣を築き、水屋を建てる
   
ちなみに、輪中の家には水害にそなえた仕掛けがたくさんあります。
土間の梁や軒下には移動用の小船が架けられていたり(上げ舟)、仏壇の上には滑車があり、洪水時には屋根裏へ持ち上げられるようにしていました(上げ仏壇)。

上げ舟(輪中生活館)

上げ仏壇(大垣市輪中館)


【住所】岐阜県大垣市釜笛1〜2丁目
【公開施設】輪中生活館(旧名和家住宅)
【参考資料】
「輪中館資料」(大垣市輪中館配布資料)

2014年2月8日撮影


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