岩村
いわむら

木戸が守った商家群

岩村では鎌倉時代に山城が築かれて以来、美濃東部の要衝として重要な位置にあり続けました。現在の城下町は江戸時代に入ってから整備されたもので、往時の職人・商人町の姿をよく残しています。

【1】岩村の町並みは枡形(ますがた)の東側でより古く、幕末以降に建てられたツシ2階建ての商家が連なっています。
【2】江戸時代、町の東西の入口には木戸があり、夜になると閉められました。このため岩村の商家は本来、格子をもたなかったそうです。
【3】屋根看板です。岩村には幕末や明治時代の建物をそのまま利用した店舗が多く、こうした看板や軒行灯が風情を出しています。

岩村は美濃、信濃、三河の国境に近く、鎌倉時代より山城が築かれる要衝でした。城下町は中世以降発達しましたが、現在の町並みは慶長6(1601)年にこの地に入った松平家乗により、改めて整備されたもの。その後は信濃や三河に通じる物資集散の拠点としても発展していきました。


本町の町並み

本町。近代建築も散見される
古い町並みは東西1.3キロにわたって続いています。中ほどに枡形があり、これより東側(本町)が江戸時代の職人・商家町、西側(西町・新町)が明治以降に発展した町人地となっています。
本町には江戸時代の建物が多く見られます。かつて町は木戸で守られていたため、防犯用の格子を入れる必要はなく、商家の表側は大戸や蔀戸(しとみど)で仕切られていたそうです。しかし本町を歩くと、右写真の木村家を筆頭に、立派な格子の入った幕末建築を目にします。これらは明治期以降に改装されたものなのでしょうか。
幕末の建築と推定される木村家住宅

土佐屋。安永9(1780)年ごろ
商家の中には間口8間の規模をもつものがありますが、敷地はそれ以上に奥行きがあり、最も長いところでは100メートルにもなります。日本の町人町に典型的な「うなぎの寝床」と呼ばれるもので、ここに土蔵などの付属屋を建てました。

勝川家の土蔵群

立花屋の軒行灯
西町・新町は1906(明治39)年の鉄道開通後に開けた地域。本町とは異なり、本2階建ての家並みが特徴です。岩村は国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されていますが、当初は江戸期の町並みを残す本町のみを対象とする予定でした。しかし西町・新町も本町と一体化した町並みを見せることから、範囲を拡張したという経緯があります。
西町の巌邑(いわむら)天満宮周辺の町並み

新町には建ちの高い家が並ぶ

新町。手前の旅館は現存しない


【所在地】岐阜県恵那市岩村町
【公開施設】木村邸、土佐屋、勝川家、岩村上町まちなか交流館
【参考資料】
『写真でみる 民家大事典』柏書房、2005年
『未来へ続く歴史のまちなみ』全国伝統的建造物群保存地区協議会編、ぎょうせい、1999年

2005年1月20日撮影


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