古川
ふるかわ
雲が支える家
古川は高山を模し、高山は京を模してつくられました。同じ藩主が築き、よく似た都市構造をもつことから、高山と古川は「双子の城下町」といわれます。しかし両者を歩き比べてみると、違った表情をもつ町であることに気付かされます。 |
【1】古川の家では、軒を支える腕木の下に持ち送りが添えられています。その側面には波型や唐草模様が施されています。「雲」と呼ばれる装飾で、古川の特徴です。 |
「飛騨の匠」と呼ばれる飛騨地方の大工は、はるか奈良時代から技術の高いことで知られ、当時の飛騨地方では庸(米や塩)、調(絹や布)が免除される代わりに、大工の提供が求められていました。この飛騨の匠の発祥地のひとつが、古川だといわれています。 その歴史は現代でも受け継がれ、1986(昭和61)年当時、旧古川町内で123人の匠がいたそうです。人口比にすれば、住民の130人に1人が大工という高密度です。 |
左の家は手づくり和ろうそくの伝統を守る三嶋商店(壱之町) |
雲をもつ家並み(三之町)。建造年は新しいが町並みは整っている |
古川の家の特徴が、軒下の「雲」と呼ばれる装飾です。もともと飛騨地方は、軒下の垂木や腕木の木口を白く塗っていました。防腐と装飾のためで、古川ではこの腕木に、さらに植物紋様のような装飾を施し、装飾あるいは腕木全体を「雲」と呼んでいます。匠が自らの署名代わりに彫ったもので、1軒1軒そのデザインが異なっています。 |
「雲」の存在は、1986(昭和61)年度の日本ナショナルトラストの町並み調査時に明るみに出ました。建築史家の西村幸夫氏らを中心とする調査団が、腕木の独特の意匠について町の人にうかがうと、こうした飾りがあるのは当たり前で、とくに意識していない人が多かったそうです。「雲」という名前についても、何人かの大工に聞いて、ようやく分かったとのこと。ちなみに、「唐草」「ひげ」「模様」などとも呼ばれているようです。 「雲」の歴史は意外と新しく、1954年ごろに大工の藤田徳太郎氏が付け始めたものが、急速に大工仲間に広まり、その後、競ってデザインが考案されました。日本ナショナルトラストの調査では、雲をもつ家は355軒、雲の種類は169種類と報告されています。この数は現在に至るまでほとんど変化がなく、近年の観光パンフレット(2013年6月版「飛騨古川散策ガイド」)でも「約170種」と紹介されています。 |
1階と2階で異なる雲をもつ家もある(殿町) |
古川の町並みのハイライトは瀬戸川沿いの土蔵街でしょう。戦後は水質も悪化しましたが、住民の努力で昔の清らさを取り戻し、いまでは鯉の泳ぐ遊歩道となっています。(鯉は冬季は越冬地で飼育)。また、1989年よりふるさとづくり特別対策事業により整備され、高山の人いきれに疲れた観光客を癒す町並みとなりました。 |
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2014年2月9日撮影 |