船町
ふなまち

幹線沿いの商家群

戸田氏10万石の城下町・大垣は、中山道と東海道を結ぶ美濃路の宿場町でした。戦災で市街地はほぼ全焼しましたが、かつての川港・船町に、昔ながらの商家の町並みが残っています。

【1】美濃路は片側2車線の大通りに拡幅されていますが、古い商家が軒を連ねています。
【2】2階に袖壁があります。
【3】建築年が比較的新しいのでしょうか、建ちの高い家が多く、多くの家が2階に出格子をはめていました。


出格子が特徴的な船町の商家
中山道の垂井宿から美濃路に入って最初の宿場が大垣宿です。美濃路は大垣城内に入り、城の南から東へと走っていますが、残念ながら当時の町並みは現存しません。大垣は1945(昭和20)年7月29日の空襲でほぼ全焼してしまったからです。
そんな大垣にあって、奇跡的に古い町並みが残されたのが船町です。大垣宿の西の入口にあたり、古くから桑名(三重県)に通じる水門川の川港として栄えました。いまも道の両側に、袖壁や出格子をもつ商家が並び、町の歴史を語っています。
こちらの家も表側の保存状態がいい

水門川の高橋西詰の町並み
大垣といえば、江戸時代前期の俳人、松尾芭蕉の『おくのほそ道』結びの地。その場所はまさに船町で、旅を終えた芭蕉は、ここから舟に乗って伊勢参りに出かけました。
現在、駅前から船町にかけては遊歩道が整備され、道中に句碑が建てられています。市の観光名所としてけっこう宣伝されていますが、「結びの地」にほど近い船町の町並みについては、まったくといっていいほど観光PRされていませんでした。

美濃路の北側にも袖壁のある商家が並ぶ

誓運寺


【住所】岐阜県大垣市船町
【公開施設】なし

2014年2月8日撮影


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