円井
つぶらい

徳島翁をしのぶ町

円井は甲州街道の韮崎(にらさき)宿と台ヶ原宿の間にある集落。江戸時代に開かれた農業用水の徳島堰で知られます。

【1】旧甲州街道。円井には宿場は置かれませんでしたが、駿州往還との分岐点として栄えました。
【2】なまこ壁の土蔵や長屋門が点在しています。
【3】石標に「徳島翁おはかみち」とあります。徳島翁とは江戸時代初期、全長17キロの農業用水を開いた徳島兵左衛門俊正のこと。路地の先の妙浄寺に翁の墓があります。

円井は徳島堰の基点の町。取水地点は上円井の釜無川にあって、ここから南へ17キロも続いています。着工は寛文5(1665)年。江戸・深川の商人徳島俊正が、身延(みのぶ)山登拝の折にこの付近を通り、荒れた土地を見て水路建設を着想しました。その後、徳島は計画から退きましたが(工事費の負担の件で甲府藩とトラブルになったためとされます)、着工から6年後に全通しました。
平坦な里を蛇行して流れる徳島堰(上円井)

サイフォンの原理で小川をくぐる徳島堰(下円井)

堰の開通によって釜無川右岸は慢性的な水不足から開放され、次々と新田が開かれました。この堰はいまも農業用水として使われ続けていて、その灌水面積は1700ヘクタールにもおよびます。

徳島堰と付かず離れず並走するのが旧甲州街道で、そこに上円井と下円井の2集落があります。宿場町ではありませんでしたが、道の両側に家が並ぶ街村的な風景をよく残し、長屋門やなまこ壁の土蔵など、歴史的な建造物も多数見られます。
土蔵と一体化した長屋門(上円井)

建立年は見逃したが、彫ってあったかなぁ…(上円井)

上円井には徳島俊正の墓がある妙浄寺があります。旧道から路地を50メートルほど入ったところにあり、路地の入口には古い石標で「徳島翁おはかみち」と刻まれていました(左写真)。この路地にも立派ななまこ壁の家があって、町並みの見どころのひとつとなっています。


妙浄寺に向かう路地に建つなまこ壁の家(上円井)
下円井は住宅密集地の中を旧甲州街道が通っています。車1台分ほどの狭い道の両側に古い主屋や土蔵が迫り、圧巻の町並みでした。
道の両側から土蔵が迫る(下円井)

どこまでもこんな町並みが続く(下円井)


長屋門を構えた豪邸。主屋の屋根に空気抜きが乗る(下円井)


石垣の上にも長屋門の家があった(下円井)
それにしても、この付近には土蔵にしろ長屋門にしろ、壁をなまこ壁としているものがたくさんあり、かなり特徴的な町並みでした。土蔵が街道沿いに建っているため、ほかの町よりもなまこ壁が目立っているのかもしれません。


【住所】山梨県韮崎市円野町上円井、円野町下円井
【公開施設】なし
【参考資料】
『歴史散歩(19)山梨県の歴史散歩』山川出版社、2007年

2015年1月7日撮


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