根場
ねんば

なぜ復活させたのか

根場は1966(昭和41)年の山津波によって、一夜のうちに消滅した茅葺き集落。そのたたずまいは「日本の原風景」として、多くの人に親しまれていたそうです。消滅から40年の年を経て、「いやしの里」として復活しました。

【1】茅葺きの家がざっと20軒。実は、築10年未満の新しい家ばかりです。
【2】現在の根場集落はここにあり、大半の家が民宿を営んでいます。
【3】屋根のいちばん上のX字形の木材を千木(ちぎ)、その上に横たわる材を雪割(鳥止まり)といいます。通常、雪割は1本ですが、根場では2本。実は、上の雪割はスプリンクラーなのです。さすがは平成生まれの茅葺き建築ですね。
ちなみに、屋根に引かれた線がスプリンクラーの導水管です。

1966(昭和41)年9月25日、台風26号の集中豪雨で集落裏手の山が崩れ、根場は土砂に埋もれました。多くの住民が避難していたため、人的被害はそれほど拡大しませんでしたが(それでも住民の27%が落命)、同地での集落再建は断念し、谷筋を少し下ったところに新たに家を建てました。
ありし日の根場集落。現地ののぼりより

復活した根場集落

土砂崩れから40年後の2006年、懐かしい根場の風景が「西湖いやしの里根場」として復活しました。同施設の条例第1条にこうあります。
「災害によって失われた茅葺建物集落の景観再生により、地域の歴史及び文化、自然環境を舞台に観光交流を軸とした地域の活性化を図る」
現にいやしの里は雇用を生み出し、特産品を販売するとともに、いつ訪れても多くの観光客でにぎわう人気の場所となっています。

いやしの里に新築された茅葺き民家は20棟。伝統工法で建てられ、一部は間取りも再現されています。しかしこれらの民家で特筆すべきは、すべて茅葺きで新築されたという点でしょう。一連の事業報告書が見当たらなかったので何とも分かりませんが、総事業費は数億円か、数十億円にのぼっていると思います(ご存知の方がいらしたらお教えください)。
外観は災害前の姿を再現

6号館。中は四つ間取りになっている


3号館。おそらく間取りは再現されていない


上の雪割はスプリンクラー

平成生まれの茅葺き建築とあって、これらの民家にはすべてスプリンクラーが完備されています。それも、千木の上の雪割として設けられているのが特徴で、どの家も屋根の北側には雨どいよろしく導水管が這っています。

ところで、根場には土砂崩れをまぬかれた家もわずかに残されています。その中の1軒である旧渡辺家住宅は国の登録有形文化財。いやしの里の敷地内にあって一般公開されていますが、室内には民具や人形が所狭しと置かれ、残念ながら民家を鑑賞する空間ではありませんでした。せっかく生き残った家なのですから、展示場の役目は再建民家に任せて、純粋に家の姿を見せて欲しいと思いました。
旧渡辺家住宅

土砂崩れを逃れた民家。現在も住まわれている

これも災害以前からの家。屋根がトタンで直されていた


【住所】山梨県南都留郡富士河口湖町西湖(字根場)
【公開施設】西湖いやしの里根場
【参考資料】
西湖いやしの里根場

2011年5月1日、16年2月28日撮


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