茂倉
もぐら

2階が広い山上の家

早川沿いの新倉(あらくら)から、つづら折りの道を登ることおよそ4キロ。四方を山並みに囲まれて、土地の人が「早川町で最大」と誇る茂倉集落が姿を現します。かつて鉱石の採掘で賑わった集落には、いまも良質な民家が残されています。

【1】茂倉は海抜900メートル以上の山奥にあります。集落内では坂道が縦横に走り、各家を結んでいます。
【2】1階に外縁をつくり、その上に2階をせり出して屋根代わりとした家が多いようです。
【3】玄関脇に外階段をもつ家も、茂倉では多く見かけました。

早川町は全国でも有数の移住促進自治体。そのことで近年メディアに取り上げられる機会が増えています。これに比例してじわじわと注目を集めているのが茂倉集落です。メディアは好んで「早川のマチュピチュ」と呼び、秘境ぶりをアピールしています。
茂倉集落の全景

茂倉は文化11(1814)年に著された『甲斐国志』に、新倉の枝郷として記載されています。明治末期に金、銀、銅の鉱脈が見つかり、第二次大戦後は石膏の採掘で栄えました。しかし昭和40年代に鉱山が操業を停止してからは、不便な立地ゆえに離村が進行。いまでは、かつて工業高校の分校があったことすら信じられないほど、ひっそりとしています。

集落は海抜900〜950メートルの傾斜地にあり、およそ60棟の民家が建ち並んでいます。民家はほとんどが2階建て。1階よりも2階のほうが広く、限られた土地を有効活用しようという住民の思いが伝わってきます。

等高線に沿って石垣を組み、その上に家を建てる

ところで、ここ茂倉に関しては、産土(うぶすな)プロジェクトのウェブサイト内に詳細なレポートが掲載されています。産土プロジェクトは、「限界といわれる農山村の内面の映像化を試みよう」というもので、このレポートでは茂倉に伝わる雨乞いの儀式を報告しています。記事によれば、1979(昭和54)年を最後に子どもが生まれていないとのこと。良質な民家の多い茂倉集落も、実態は半数が空き家です。山村集落の営みを継続させることがいかに難しいか、思い知らされます。


集落の最上部に通じる路地


集落最上部からの眺め


【住所】山梨県南巨摩郡早川町新倉(字茂倉)
【公開施設】なし
【参考資料】
『角川日本地名大辞典(19)山梨県』角川書店、1984年

2016年9月3日撮


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