薬袋
みない

山梨民家の展覧会場

薬袋は早川蛇行部に開けた農村集落。早くから養蚕を営み、戦後まで盛んだったところで、いまもさまざまな形態の養蚕農家が残されています。

【1】養蚕農家は屋根裏で蚕を飼育したため、採光・通風用に屋根を開けているのが特徴です。最も典型的なのが、入母屋屋根の妻側が切り落とされたかのようなかぶと造り。早川町を含む富士川流域は最大の密集地帯です。
【2】天窓を開けて庇をかけています。突き上げ屋根といい、やはり養蚕農家に見られる造形です。
【3】2階の真ん中を持ち上げたやぐら造りは、分布域は狭く、山梨県に固有の養蚕農家です。

早川町役場の脇の小道を通り、早川を越えたところにあるのが薬袋集落です。赤沢宿の帰り、県道37号線に下りると早川の対岸に多数の農家が見えたので、思わず立ち寄りました。
早川越しに見る薬袋集落

道の両側に養蚕農家が建つ

角川の地名辞典で調べると、段丘上の恵まれた地理条件のもと農業を営んできた土地で、のちに水田耕作から養蚕に転換した集落とのことです。昭和初期には蚕種(さんしゅ、蚕の卵)の生産も行い、「現在でも町内随一の生産量を誇る」とありました。

地名辞典の刊行は1984(昭和59)年。この当時で町内随一の生産量を誇ったということは注目に値します。というのも、昭和40年代後半から関東全域で養蚕は衰退し、養蚕の盛んなことで知られる群馬県でさえ、50年代になるとほとんど行われなくなったからです。
早川に近いところには石垣も見られた

ほとんどの家が屋根を養蚕用に改造している

わたしが薬袋を訪問したのは2014年。歩いた範囲に桑畑は見られなかったので、養蚕はすでに廃れたか、行われていたとしても規模は縮小していると思います。しかし、つい最近まで養蚕で生計を立てていた点は特筆すべきでしょうし、原形を保った農家が多く見られるのもそのためだろうと思いました。


中央の屋根を浮かせたやぐら造り。入母屋屋根では珍しい

かぶと造り。妻側の屋根を半切妻とする


【住所】山梨県南巨摩郡早川町薬袋
【公開施設】なし
【参考資料】
『角川日本地名大辞典(19)山梨県』角川書店、1984年

2014年11月30日撮


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