国見平
くにみだいら

甲斐の国を見晴るかす

富士川の岸からつづら折りの県道を登ったところに国見平はあります。そこは甲府盆地を最南端から見わたせる絶景の集落でした。

【1】国見平はわずか10数戸の集落。山並みのただ中に位置します。
【2】切妻造りや寄棟造りの農家が見られます。養蚕用に大きく改造された家は、さほど多くはありません。
【3】眼下に望むのは甲府盆地です。こうして見ると距離があるように感じられますが、国見平は富士川の河岸町・鰍沢(かじかざわ)の枝村として成立した経緯があり、歴史的には富士川水系の経済圏に含まれていました。

国見平は富士川支流の小柳川流域では最下流に位置する集落。富士川までの直線距離は500メートルほどですが、川面からの比高は130メートルもあります。この高低差ゆえ甲府盆地(国中地方)を見わたすことができ、地名にたがわぬ光景を目の当たりにできました。
山並みを海にたとえれば、集落はまるで島だ

道の両側に農家が連なる

このあたりは段丘にあるため耕地が狭く、江戸時代にはショウガやヤマモモなど、山野に生える食草を採っては、はるか愛知や長野にまで売りに出ていたそうです。過酷な暮らしぶりを物語るエピソードですね。明治以降は養蚕を営むようになり、現在も集落には典型的な養蚕農家が多く見られます。

山梨県では養蚕の普及とともに、農家の改造が進みました。2階を大きく持ち上げた「やぐら造り」は、その最たる例でしょう。国見平でも「突き上げ屋根」をもつ家が見られましたが、こうした改造を受けずに、もとの寄棟造りや入母屋造りのままの農家も見られました。
突き上げ屋根をもつ家

幅9間ほどあった大型の農家

この国見平のすぐ上に、長知沢(ちょうちざわ)という養蚕集落があります。こちらも古民家が多く、弊サイトでも紹介していますが、国見平は歴史的には長知沢との接点がほとんどなく、富士川岸の鰍沢との結び付きが強かったようです。これは長知沢が独立した村落だったのに対し、国見平は鰍沢の枝村として成立した歴史に起因していて、このせいで両集落は数百メートルしか離れていないものの、民家のつくりに大きな違いがあるそうです。

その最たるものが押板(おしいた)。押板は床の間の原型ともいわれ、関東地方に多いしつらえです。この押板が、国見平では一般化しているのに、長知沢では1軒でしか見られないのだとか。そして国見平の押板は、地域の拠点だった鰍沢より流入したものだということです。
一見、何の変哲もない山村集落の国見平も、中央文化の影響を強く受けていたのですね。

主屋と直交するように蔵を建てる家が多い

この家は主屋と付属屋を廊下でつないでいる

集落の南側にあった大きな土蔵


【住所】山梨県南巨摩郡富士川町鰍沢国見平
【公開施設】なし
【参考資料】
『角川日本地名大辞典(19)山梨県』角川書店、1984年
「山梨県河内における山間集落の民家について その3 長知沢と国見平の民家形態の差異と要因」中尾七重・野中愛・金井隆昌著、『日本建築学会大会学術講演梗概集(関東)』1997年9月号所収

2016年9月3日撮


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