武士原
ぶしばら
いにしえ訪ねる絹の道
甲府と埼玉県の秩父を結ぶ古道に「秩父往還」があります。その道中にある武士原は、いまも昔の姿を残しています。 |
【1】集落を貫くこの細道が秩父往還。絹の運搬ルートとして使われました。 |
奥秩父がいま以上に「陸の孤島」だったころ、秩父の養蚕農家は秩父往還をたどり、山梨へ出て絹を売っていました。武士原はそんな往還沿いにある集落ですが、宿駅だったわけではありません。それなのに、どの家も立派なつくりをしているのは、どうしたわけなのでしょう。 | 土塀が連なる武士原の町角 |
現存する農家の多くはやぐら造り |
秩父往還で写真を撮っていると、ひとりの翁とすれ違ったので話を聞くことができました。 |
――失礼ですが、こちらの生まれですか? そうだよ。東京で会社員をしていたんだけど、定年前にUターンをして、いまはコロ柿をつくってる。 |
門越しにやぐら造りの農家を見る |
コロ柿を吊るした家。この家はやぐら造りにしていない |
――コロ柿ですか!? 実は今日の旅のテーマは「コロ柿の里めぐり」なんです |
――そんな高級品なんですね。鳥に食われることはないのですか? 天日干しにすると硬くなるから、鳥についばまれることはない。鳥が食うのは、ほら、あの辺に枝に残った柿があるでしょ。ああいうのだよ。 それとね、土地のモンは武士原の「ぶ」にアクセントがくる。もとは「仏師原」っていわれていたくらいだからね。ここには3つのお寺があって、仏師が多く住んでいたらしいよ。 |
畑にもコロ柿専用の小屋があった |
切妻の2階家。屋根に空気抜きの高窓を載せる |
古い土蔵と煙出しをもつ農家 |
思いがけず集落の昔話を聞くことができた武士原の旅でしたが、集落景観を見ると、自慢の高塀には朽ちかけたものも見られました。絹の道のかたわらで歴史をつないできたこの集落が、未来へ継承されることを願います。 |
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ところで武士原では主屋や門のみならず、伝統的な小屋も見られました。右写真はそんな小屋のひとつで、切妻屋根の南側の葺き下ろしを短くしています。蔵の中に日光を入れ、農機具などを乾燥しやすくするもので、同様の小屋は塩山駅前の重要文化財、甘草(かんぞう)屋敷(旧高野家住宅)でも見かけました。 | 切妻の小屋 |
2013年12月1日、16年9月3日撮影 |