高浜
たかはま
うだつと武者隠し
高浜の旧丹後街道にはうだつを高々と上げた商家が連なっています。御食国(みけつくに)として栄えた往古を偲ぶのに十分な風景です。 |
【1】旧丹後街道。若狭は奈良時代以降、朝廷に食料を献上した御食国でした。この道をたくさんの人が物が、行き交ったのでしょう。 |
現在の高浜町は御食国・若狭において重要な海産物の提供地だったと考えられています。その根拠が、奈良の平城宮跡から出土した木簡(もっかん)。食用の献上品を記録した19点の木簡のうち、実に17点に町内の地名が記されていました。当地で産した食材を運んだ道が丹後街道です。 |
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やや歯抜けしているものの、全体的に連続性は高い |
高浜町の中心街がは丹後街道沿いにある街村の高浜です。戦国時代には城下町となり、江戸時代には宿駅機能も与えられました。いまでも旧丹後街道沿いには古い町家が多く見られます。各家が立面をずらしているのは、ここが城下町だったことの証ともいわれています。 |
高浜には本うだつを上げた家も多く、迫力のある町並みを見せてくれますが、一方で空き家の増加も問題になりつつあります。町では空き家となった古民家を再生し、住居として定住人口を増やす計画を進めています。そのモデルとなっているのが旧塩屋です。 |
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旧塩屋、土間の吹き抜け |
明治初期に建てられた旧塩屋は、かつての和菓子屋さん。給食パンもつくっていたそうです。廃業後、長く空き家になっていましたが、2013年に高浜町が購入しリフォームに着手。地元の逸品を展示・販売するギャラリー&ショップとして、また、カフェやゲストハウスとしての利用が検討されています。 |
旧塩屋の土間に置かれたアンティークな棚 |
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このほか高浜町では「高浜建築」なる言葉も耳にしました。高浜建築とは、地元の設計士、職人、技術者、行政、教育機関が連携し、地元産の建材で建てる家のこと。町内では高浜建築研究会が主宰され、高浜らしい建築様式の追求や、旧丹後街道沿いの景観をよくするための活動を行っているそうです。 こうしたきめ細かな行政が行えるのも、平成の大合併におもねることなく、単独町制を維持した町ならではだと感じました。 |
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うだつと大棟の立浪瓦 |
2015年6月15日撮影 |