遠敷
おにゅう
下屋は自在に降ろされて
若狭国分寺が置かれ、一の宮が祀られた遠敷村は、文字どおり若狭の中心でした。いまは国道27号線をひっきりなしに自動車が走っていますが、旧道には戦前の町家が並び、かつての面影を色濃く残しています。 |
【1】遠敷の旧道には妻入りと平入りの家が混在しています。どちらの家も、表に下屋を葺き降ろしています。 |
いまでは小浜市の一地名に過ぎない遠敷ですが、その歴史は大変古く、飛鳥時代から「おにふ」と呼ばれていました。当時すでに若狭一円の文化的中心地だったようで、大宝元(701)年の郡設置の折も、郡名は「おにふ」とされました。 |
街道筋でひときわ目立つ妻入りの商家 |
若狭に特有の「立浪瓦」をもつ蔵 |
当時、漢字では「小丹生」と書いていましたが、和銅6(713)年の元明天皇の詔(みことのり)によって「遠敷」と当て字されたと推測されています。遠が「お」に相当するのは分かりますが、なぜ敷で「にふ」と読むのでしょうか。 |
当地には若狭姫神社があり、小浜と今津(滋賀県)を結ぶ九里半街道が通っています。中世になると門前市が立ったといいますから、街道の要衝として多くの旅人が立ち寄ったことでしょう。市は室町時代になると毎日開かれました。その後は小浜が発展したため、遠敷への一極集中の時代は終わりましたが、江戸時代以降も街道筋の商家町としての重要性は失われませんでした。 |
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下屋をもつ商家が2軒並んでいた |
遠敷の商家は多くが平入りで、間口4〜5間ほどの中規模の家はほとんど例外なく、片側に下屋を降ろしています。なぜこうした家が並んでいるのかは分かりませんが、間口をゆったりとった平入りの家が並ぶ街道は、空が広く、道が伸びやかに感じられ、歩いて心地良いものです。 |
平入り商家の見事な町並み |
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街道の西側には用水路が流れている |
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2011年5月4日、14年5月6日撮影 |