大野
おおの

名手の手腕光る町並み

大野は戦国時代にさかのぼる城下町。碁盤目状の町割に、武家地、町人地、寺町が配され、広範囲にわたって歴史的景観を残しています。

【1】碁盤目状の大野の道は、東西の道が○間通り、南北の道が○番通りと呼ばれました。この道は八間通りです。
【2】通りに並ぶ商家は、1階の庇、幕板、2階の袖壁、屋根を支える登り梁など、北陸の町家に類型的な特徴をもちます。
【3】突き当たりが寺町。城下町の東の境を守りました。ちなみに、町の西端に大野城がありました。

大野の歴史は戦国時代、織田信長の家臣・金森長近による大野城築城に始まります。大野城は単なる軍事拠点ではなく、政治・経済・文化の中心となるべく建設され、同時に城下町も整備されました。長近は「城下町建設の名手」といわれ、京をモデルに碁盤目状に道路を設計。この町割りはいまも残り、当地を「越前の小京都」たらしめています。


直線道路が印象的(七間通り)


南部酒造場の建築群(四番通り)

しかし城下整備にあたって道路網以上に重視されたのが、上下水道の敷設でした。幸いにして大野は湧水の地であり、長近はこれらの湧水から水を引き、町内を縦横に走る水の道をつくったのです。現在では武家屋敷地の東を流れる芹川用水など、一部でしか見ることができませんが、排水路はいまも江戸時代のものが使われているというから驚きです。

大野にはたくさんの湧水がありますが、一番有名なのが城下町の南西の外れにある御清水(おしょうず)でしょう。江戸時代には藩主のご用水となったことから「殿様清水」と呼ばれました。現在でも湧出量は豊富で、地域の人に飲用水として利用されているほか、野菜洗い場、洗濯場も設けられています。


御清水


旧内山家住宅

町並みは西の大野城直下に武家屋敷地があり、現存する旧内山家、旧田村家は一般公開されています。
この家並みから芹川用水を越すと町人地。○番通り、○間通りと順番に名付けられた道路が引かれ、広範囲にわたって町家が残されています。


旧田村家住宅


商家群(五番通り)

ところで、大野を歩いていて町家風の変わった現代建築を目にしました。実はこれ、その名も「町家住宅」といい、外観を町家に似せた市営住宅です。試みとしてはおもしろいですが、せっかくなら木造の町家を再生してほしかったなぁと思います。町家住宅は二番通りに3棟確認できました。このうちの1棟には「平成13年竣工」のプレートがはめ込まれていました。


二番通りの町家住宅(手前から2軒目)


【住所】福井県大野市元町、本町、錦町、城町、泉町、明倫町
【公開施設】武家屋敷旧内山家、武家屋敷旧田村家
【参考資料】
パンフレット「結の故郷(くに)越前おおの 観光ガイドMAP」

2015年6月14日撮


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