納田終
のたおい

陰陽師の隠れ里

納田終は福井県の南西端にある集落。ここから国道を南下すると5キロほどで京都府の旧美山町(南丹市)に入ります。美山町といえば全国屈指の茅葺きの里ですが、納田終には美山町とのつながりを感じさせる茅葺き民家が残されていました。

【1】大棟に千木(ちぎ)が乗ります。京都・美山町の茅葺き民家と共通する意匠です。
【2】入母屋屋根の三角破風は比較的大きめ。県北の越前地方よりも、美山町の民家を連想させます。破風には縦横に組まれた格子がはめられています。木連(きつれ)格子と呼ばれるものです。
【3】納屋では、きたるべき屋根の葺き替えにそなえ、茅が保管されていました。

納田終は旧名田庄(なたしょう)村の南西端にある集落。その名は、名田庄の終わるところから「名田終」と呼ばれたことにちなむとされます。
その名田庄は南北朝時代、陰陽家の土御門(つちみかど)家に与えられ、泰山府君祭を執り行う土地となりました。土御門家30代の有宣(ありのぶ)は応仁の乱(1467〜77年)の戦乱を避け、15世紀末に当地に移住。その後ひ孫の久脩(ひさなが)が上京するまで、土御門家はほぼ1世紀ここに居住しました。


小川に沿って茅葺き民家が点在。右手前は土御門家住宅

土御門家住宅

土御門家が退去したあとは谷川家が信仰を守り、いまも当時の祭祀場や道場の遺跡が残っています。土御門家住宅も茅葺きのまま残っていますが、小ぶりな外観といい、千木を乗せた大棟といい、山を隔てた京都府旧美山町の茅葺き民家に似ています。

納田終には土御門家住宅を含め、トタンで覆われていない茅葺き建築が4棟あります。このうち2棟は宗教建築。廃寺になった旧増福寺の建物として江戸時代に建立された薬師堂は、茅屋根が葺き直されたばかりで、目にまぶしく輝いていました。対照的に加茂神社の能舞台は部分的に草が生え、傷みが進んでいました。


薬師堂

加茂神社の茅葺きの能舞台


トタンで覆われた茅葺き民家も見られる


【住所】福井県大飯郡おおい町納田終
【地図】トップ写真の撮影地点
【公開施設】なし
【参考資料】
『日本歴史地名大系(18)福井県の地名』平凡社、1981年
『角川日本地名大辞典(18)福井県』角川書店、1989年

2011年5月31日撮


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