熊川
くまがわ

天を突く立浪瓦

熊川宿は小浜と京を結ぶ若狭路の宿場として栄えた町。江戸時代から昭和戦前にかけての旅籠や商家、農家などが残され、平入りと妻入り、主屋と蔵、真壁造りと大壁造りなど、多様な建築物が並んだ景観が特徴です。

【1】妻入りと平入りの家が混在する町並み。
【2】道路の片側に流れる用水路が前川(まえがわ)。各家の前には水面まで降りられる石段がつくられています。水質がよく、流れが速いことが特徴です。
【3】鬼瓦の上に乗る瓦は鳥衾(とりぶすま)と呼ばれます。ちょんまげ型をしたものが一般的ですが、小浜市を中心とする福井県西部から京都府北部では波型が支配的。「立波型鳥衾」と呼ばれ、防火の願いを込めた造形だといわれています。


熊川宿の町並み(上ノ町)

小浜と京を結ぶ道は、主に小浜産の鯖を運んだことにちなみ、昭和以降は「鯖街道」と呼ばれるようになりました。鯖街道には何本ものルートがありましたが、最も往来が盛んだったのが、熊川から朽木(くつき、滋賀県)を通って京に入る若狭街道でした。熊川は水坂峠を控える重要な宿場となり、江戸時代には200戸を数える大集落になりました。

熊川は小浜寄り(西)から順に、下ノ町(しもんちょう)、中ノ町(なかんちょう)、上ノ町(かみんちょう)の3地区に分けられます。
奉行所が建ち、町並みの中心として機能していたのが中ノ町。規模の大きな町家が現存し、すぐれた歴史景観を維持しています。


田辺家住宅(中ノ町)

旧逸見家住宅。立浪瓦が天を突く(中ノ町)

中ノ町のシンボルが旧逸見(へんみ)家住宅。伊藤忠商事の第2代社長、伊藤竹之助の生家で、かつては老朽化も甚だしく、旧上中町に寄贈後の1995〜96年に改修されました。貴重な町家が生き残ってよかったと思いますが、個人所有のままでは古民家の維持は困難であることを突きつけられる出来事でもあったと思います。

中ノ町には問屋も多くありました。倉見屋はそのひとつで、文化6(1809)年に建てられた、現存する熊川最古の建物です。主屋と蔵を並べて建てるのが問屋ならではですね。
いっぽう、下ノ町と上ノ町には茶店などが連なっていました。現在でも、中ノ町には見られない茅葺きの家(すべてトタン被覆)が点在し、町並みの雰囲気を異にしています。


かつての問屋、倉見屋(中ノ町)


下ノ町と中ノ町の間にあるカギ型の道路、「まがり」


茅葺き民家は多いがすべてトタン葺きになっている(下ノ町)


なまこ壁の蔵があった(下ノ町)


ハス向かいの権現神社と関係があるという大岩(左)(上ノ町)

 


前川の芋車(下ノ町)

熊川宿には前川という用水路が通され、それぞれの家には「かわと」と呼ばれる洗い場が設けられています。前川のところどころには「芋車」が置かれていました。中に山芋を入れ、水流にまかせて30分ほど回しておくと、泥が落ち、皮もむけるのだそうです。


前川のある町並み(中ノ町)


【住所】福井県三方上中郡若狭町熊川
【地図】トップ写真の撮影地点
【公開施設】旧逸見勘兵衛家住宅、若狭鯖街道熊川宿資料館、熊川番所(復元)
【参考資料】
パンフレット「熊川宿巡り御地圖」

2011年5月4日撮


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