伊良積
いらづみ

なぜ農村に舟小屋が

若狭きっての景勝地が三方(みかた)五湖。そのひとつ、三方湖の湖畔に、昔ながらの茅葺きの舟小屋をもつ集落があります。

【1】伊良積は江戸時代にさかのぼる梅の産地。集落の背後に梅畑が広がっています。
【2】かつての移動手段だった小船を格納する舟小屋が、湖岸に点々と見られます。中には茅葺きで復原されたものもあります。
【3】集落には古い民家や蔵が多く残ります。トタンで覆われてこそいるものの、茅葺きの主屋も見られました。

リアス式海岸が続く若狭湾は、日本有数の舟小屋密集地帯。かの舟屋の里、伊根(京都府)も若狭湾に面しています。しかし近代化にともなう岸壁の埋め立てなどにより、取り壊された舟小屋も少なくありません。


伊良積の舟小屋と三方湖

復原された舟小屋。伊良積・北庄の境界付近

そんな時代の流れに逆行するかのように、ここ伊良積では、あえて昔ながらの茅葺きで舟小屋が復原されています。その数8棟。隣集落の北庄との境界地点に5棟が集まっているほか、伊良積北部に1棟、中部に2棟があります。


竹を編んだ妻面の菱形模様が印象的


壁はなく、柱を水中に突き立てている

おもしろいのは、伊良積は漁村ではなく農村だということ。なぜ農家が舟小屋を建てたのでしょうか。
伊良積では天保年間(1830〜44年)ごろから梅の生産が始まり、現在に至るまで福井梅の一大産地となっています(伊良積を含む若狭町全体で福井梅の80%を生産)。交通の便が悪かった当時、村人たちは小船で対岸へ渡り、そこから街道に出て、収穫した梅を売っていました。これらの舟小屋は、大切な交通手段である船を格納するためのものだったのです。


茅葺きの家と梅畑


茅葺き民家が集まる一角

陸の孤島ともいえる伊良積では、1975(昭和50)年に護岸整備や道路工事が行われ、それ以降は船に変わって自動車が主たる交通手段となりました。舟小屋はもはや使われることもなくなったのですが、村人たちは昔ながらの茅葺きに葺き替え、観光資源として継承することとしたのです。


集落は斜面に展開するため石垣を組んでいる


古い蔵も多い


【住所】福井県三方上中郡若狭町田井
【地図】5棟の舟小屋
【公開施設】なし
【参考資料】
『舟小屋 風土とかたち』神崎宣武・中村茂樹・畔柳昭雄・渡邉裕之著、INAX BOOKLET、2007年

2014年5月6日撮影


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