今庄
いまじょう

雪国仕様の旅籠たち

今庄宿は江戸時代初期に北国街道の宿場町として整備されました。江戸時代後期には290軒以上を数え、そのうち旅籠が55軒、茶屋が15軒余りと記録されています。現存する旅籠は雪囲いを設けられるよう、1階に大きな庇をせり出しています。

【1】このあたりの家は1階の軒が深く、大きく反った庇をもちます。冬の間はここに雪囲いを設けます。
【2】1階正面に格子をめぐらすのは旅籠建築の特徴のひとつです。
【3】2階正面の全面に窓を設けるのも旅籠ならでは。客間の採光と通風を確保しました。


平入り2階建ての家が並ぶ

越前の南の入口だった今庄は、古くから北国街道の通る交通の要衝であり、江戸時代に入ると宿場町として整備されました。現在の町並みは文政元(1818)年の大火ののちに再建されたもので、江戸時代にさかのぼる古い旅籠も残されています。

うだつをもつ町家もある


町並みの途中に枡型(ますがた)があった

その中の1軒が、地元のNPO法人今庄旅籠塾の活動拠点となっている若狭屋です。建築年は天保11(1840)年ごろと推定され、安政4(1857)年に増築された記録があります。
若狭屋は2010年には解体寸前の状態だったといいます。それをNPOが借り受け、建築を学ぶ高校生とともに改修工事を行い、多目的スペースとして再生しました。


旧旅籠若狭屋

重厚な外観の京藤甚五郎家

若狭屋の並びにある京藤(きょうとう)甚五郎家も同じころの建設とされます。こちらは旅籠ではなく造り酒屋でした。間口6間の豪壮な建物で、非常に太い登り梁や大きなうだつなどが、がっしりとした印象を与えます。
屋根は越前赤瓦で葺かれています。独特の深みのある赤色は、釉薬に含まれる鉄の色。「還元焼成」という技法で焼き上げ、耐寒性・耐塩性にすぐれます。


京藤甚五郎家の見事な箱階段。障子欄間もきれい(常時非公開)

今庄の家を見て気になったのが、1階の大きな庇。聞いた話によると雪除けのものだそうですが、半間ほども飛び出してかなり立派なつくりになっています。冬の間はここに柱を入れ、雪囲いとします。


雪囲いを常設した家


反り屋根の庇とむくり屋根の門がいい


昭和初期に建てられた旅館つるや


1930(昭和5)年の旧昭和会館


1933(昭和8)年の明治殿(めいじでん)


明治殿内部。明治天皇が泊まった本陣座敷を再建した建物
(常時非公開)


【住所】福井県南条郡南越前町今庄
【地図】トップ写真の撮影地点
【公開施設】旧旅籠若狭屋
【参考資料】
パンフレット「北国街道今庄宿 旧旅籠若狭屋」NPO法人今庄旅籠塾

2012年11月10日撮


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