寺町台
てらまちだい

二重のディフェンスライン

金沢の三大寺町のうち、おそらくもっとも寺町らしい町並みを見せるのが寺町台でしょう。犀川左岸の高台に大寺院が群れをなしています。

【1】金沢城下の南を流れる犀川。北の浅野川とともに、城下を守る天然の堀でした。
【2】犀川の外側(南)に、寺町台の寺院群が形成されました。寺院はつくりが堅固であることから、有事の際は武士が待機しました。ここでは犀川と寺院群が二重の防衛線となっているのです。
【3】犀川左岸が寺町に選ばれたのは、台地上で湿気が少なく、洪水の害がないことも一因でした。

金沢には寺町台、小立野(おだつの)、卯辰山(うたつやま)の3つの寺院群があります。いずれも元和2(1616)年に3代藩主・前田利常が、それまで分散していた寺院を集住させたことに始まります。
寺院集住の目的は、城下の防衛強化にありました。外敵の侵入時、寺院は武士が駐在する前線基地となります。寺町台は城南の犀川の外に置かれ、城下の小立野、城北の卯辰山とともに、「城下町金沢」の防衛線を形成しました。


妙典寺。黒瓦が重厚感を増す。明和7(1770)年


旧野田道沿いの寺院群

寺町台は三大寺院群の中で最も規模が大きく、およそ70の寺院があります。町並みは北西〜南東方向の旧野田道沿いと、北〜南方向の旧鶴来(つるぎ)街道沿いの2地区で形成され、それぞれ異なった表情を見せます。
寺町らしい風景に出合えるのが旧野田道沿い。前面に門前地がほとんどなく、通りに面して土塀と山門を見せる大寺院がずらりと並び、絵に描いたような「寺町」の町並みを見せてくれます。


享和2(1802)年の妙福寺(左)の並びに町家が続く


大正建築の料亭、つば甚。寺院に負けない大迫力

旧鶴来街道沿いには古い町家も多く、それらの町並みに溶け込むように寺院の山門が点在します。街道の北、犀川大橋のたもとには、木造3階建ての旅館建築である山錦楼がそびえます。


山錦楼は大正後期の木造建築

天和3(1683)年の妙慶寺と山錦楼(右奥)

旧鶴来街道の町並み


幕末の建築、今川酢造

 

寺院の建築様式は金沢のほかの寺町とも共通し、切妻・平入りが最も多く、全体の半数を占めます。しかし数の上では少ないものの(約2割)、切妻・妻入りの壮大な本堂建築が印象的でした。
現存最古、寛永年間(1624〜44)の承証寺や、入母屋の巨大な向拝をもつ本因寺(延享元=1744年)、美しい前庭をもつ龍渕寺(明治19=1886)などは、どれも妻入りでした。


承証寺


本因寺


龍渕寺

最後に、金沢の三大寺町それぞれの「かたち」について比較いたします。

立地 寺院配置 本堂の様式 世俗建築
寺町台 犀川の南岸にあり城南を守る 旧野田道と旧鶴来街道の両側に整然と並ぶ。境内は総じて広い 切妻平入り(50%)が最多。切妻妻入り(22%)、入母屋平入り(11%)、寄棟平入り(同)が続く 犀川沿いに「つば甚」「山錦楼」の料亭建築。旧鶴来街道に町家が点在
小立野 兼六園の南東にあり城下を守る 小立野台地を取り巻くように配置。台地上にも数カ寺がある 切妻平入り(42%)が最多。入母屋平入り(24%)、切妻妻入り(18%)が続く 地区の中央を幹線が通るため、古い町家はほとんど現存しない
卯辰山 浅野川の北岸にあり城北を守る 山麓の地形に合わせて寺院が点在。中・小規模の寺院が多い 切妻平入り(72%)が突出して多い。切妻妻入り(13%)がこれに次ぐ 間口の狭い平入り町家が見られ、部分的に「町並み」を構成


【住所】石川県金沢市寺町1〜5丁目、野町1・3丁目、弥生1丁目
【地図】トップ写真の撮影地点旧鶴来街道沿いの町家群
【公開施設】多くの寺院が境内を一般開放している
【参考資料】
『寺町台伝統的建造物群保存調査報告書』金沢市、2011年
本記事表の「本堂の様式」は同書140ページに記載の「金沢市寺院群景観および建造物基礎資料」(近畿大学建築史意匠研究室、1995年)による

2015年2月16日撮影


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