白峰
しらみね
土蔵の住まい
白峰は手取川の谷に開けた農村でした。土蔵造り、3階建ての豪壮な主屋は、ここが豊かな山里だったことを教えてくれます。 |
【1】白峰の民家の一見して明らかな特徴が、大壁造りであること。大壁造りとは柱や梁を土壁で覆い隠す工法で、日本全国で見られますが、白峰の家は養蚕に特化した2〜3階建てが多いこと、また、下屋や庇がなく、直方体の蔵そのものの姿をしていることから、非常に独特な印象を受けます(写真は山岸家住宅)。 |
白峰は古来信仰を集めた白山に至る登山道に接していますが、信仰集落というわけではなく、焼畑や養蚕を行う農村でした。それにしては立派な家が連なっていますが、これは江戸時代を通じて農業や養蚕業、林業、木工業、製炭業など、さまざまな生産活動が行われた結果で、それなりに豊かな地域だったようです。 |
白峰の町並み |
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中でも白峰の民家のかたちを決定付けたのが養蚕でした。家が高層化したのは屋根裏を蚕室とするための工夫。福井藩の漢学者、野路汝謙が文化10(1813)年に著した『白山紀行』に「牛首(白峰の旧称)大なる家多し」とあり、当時すでに民家の大型化が図られていたことが分かります。 |
行勧寺の庫裏(くり)は町並みで最後の石置き屋根 |
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家の大きさとともに特徴的なのが大壁造りであること。壁の厚さは15センチ以上で、分厚いものになると30センチもあるそうです。これは多雪による湿気と寒さを防ぐためのもの。また、下屋や庇をもたない家が多く、「土蔵そのもの」といったシルエットも独特です。 |
山岸家住宅 |
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大壁造りの家と蔵が連なる |
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左写真は町並みの一角にある「クラマチ」。白峰では幕末から明治初期にかけて、20年間で三度の大火を経験しました。火災後には火除け地を設けたほか、こうした土蔵地帯もつくられました。 |
白峰では古民家の保全と町並み保護が行われていますが、その象徴といえるのが雪だるまカフェです。明治元(1868)年に建てられた3階建ての養蚕農家を改装したもので、カフェの営業のほか、地元住民と観光客の交流の場として、また、学生による研究活動の拠点として活用されています。建築的には、妻側に2階の高さの下屋をせり出しているのが特徴。2階部分には荷物の搬入や冬季の出入口として使われた「背戸」が開けられています。 |
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雪だるまカフェでは白峰の郷土食「かましいりこ」を味わえます。かましとは白峰で古くから栽培されてきた穀類の一種で、ヒエの仲間です。カフェの説明には、「かましの粉を鍋で炒ったものに砂糖を混ぜ、熱い湯でかいて食べます。現在では、日本中で白峰地域でしか食べることができないと言われています。懐かしいお菓子のような味わいです」とありました。確かに、素朴な植物風味の味がしました。 |
2012年7月14日撮影 |