大野
おおの

むらさき色の金沢

大野は金沢に2つあった外港のひとつで、北前船が寄港する物資集散の拠点でした。当地では醤油の醸造業も栄え、その歴史はいまに受け継がれています。

【1】町並みの一角に醤油醸造会社が集まり、豪壮な倉庫を連ねています。
【2】建物は下見板張りが基本です。
【3】町家はツシ2階建てよりも本2階建てのものが目立ちました。袖壁、幕板、出格子などの意匠をそなえています。

金箔、九谷焼、加賀友禅、甘えびと、金沢には色とりどりの名物がたくさんありますが、これらとは対照的な「醤油」も忘れてはならない存在。日本海側で随一といってもいい産地であり、全国の五大産地にもあげられているほどです。
そんな金沢醤油のふるさとが、ここ大野です。


紺市醤油の建築群


橋栄醤油の建築群

江戸時代、加賀藩が金沢の外港として指定したのが、大野の隣村の宮腰(みやのこし、現・金石)でした。このため領内産物の積み出しなどはすべて宮腰で行われ、大野と宮腰の格差は広がる一方だったといいます。加えて大野は砂が堆積しやすく、後背地の河北郡は宮腰の後背地(石川郡)より生産力が低いなど、港湾としては不利な条件にありました。

そんな大野で秀でたのが醤油醸造です。元和年間(1615〜1624)、湯浅(和歌山県)の醤油醸造を学んだ直江屋伊兵衛がこれをもち帰り、大野で創業したことに始まります。原料の大豆や塩を入手しやすい港町であること、白山の伏流水が湧く名水の地であることなどから醸造家は次第に増え、幕末の弘化・嘉永年間(1844〜54)には60軒以上を数えました。いまも30軒ほどの醤油醸造家が集まり、町並みの一角に倉庫街を形成しています。


直源醤油の建築群


ツシ2階の家が見られる

きらびやかな金沢名物の中で個性を発揮する大野醤油と同じように、茶屋町や武家町の多い金沢で異色ともいえる素朴な町並みは、見るほどに味わい深いものでした。


袖壁や出格子をもつ家


宝生寿しの店舗は国登録文化財


【住所】石川県金沢市大野町1・4丁目
【地図】トップ写真の撮影地点
【公開施設】紺市醤油もろみ蔵

2015年2月16日撮影


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