野々市
ののいち
前ヒラはどこから来たのか
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金沢城下を出て北国街道最初の宿場が置かれた町が野々市です。醤油醸造を営んだ重要文化財の喜多家住宅をはじめ、重厚な家が残されていました。 |
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【1】旧北国街道。写真手前が金沢方面です。道はここで90度右に折れ、松任(まっとう)方面に向かいます。 |
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野々市は旧北国街道に沿って古い家並みを残す町。妻入りと平入りを合体させた、変わった外観の家もありました。こうした家は三国では「かぐら建て」と呼んでいますが、野々市では「町家風農家」と呼称しています。 |
![]() 「かぐら建て」のような家(右) |
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町家風農家の典型例が旧魚住家住宅。話を聞いたところ、「町家は平入り、農家は妻入り。両者を合わせた家が町家風農家で、見た目が町家、間取りが農家になっている」とのことでした。 |
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野々市には町家風農家の逆パターン、すなわち「見た目が農家、間取りが町家」という家もあります。水毛生(みもう)家住宅がそれで、妻入りを2段重ねた外観。いうなれば「農家風町家」ですね。 |
![]() 水毛生家住宅 |
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こうして屋根形に注目して野々市を歩くと、重要文化財の喜多家住宅(下写真)も屋根が二段構えになっていることに気づきます。「しころ葺き」といい、町家の古い形態を伝えるものです。ちなみに現在の建物は明治時代、金沢より移築したもので、藩政期から野々市にあったものではありません。(ついでにいえば、旧魚住家も松任より移築されたものです)。 |
![]() 喜多家住宅、外観 |
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それにしても、なぜ町家風農家が建てられるようになったのでしょうか。野々市市のウェブサイトでは「もともと農家が立ち並んでいましたが、宿場町として商業が発達してくると、町家の形の家が増えていったものと考えられています」と書かれていますが、これでは説明不足ですね。「商業が発達し」たことで、農家が商家も兼ねるようになったのか、あるいは、単に見た目を商家風にするため、前ヒラを増築したのでしょうか。 |
![]() この家も町家風農家 |
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見れば見るほど、三国のかぐら建てにそっくりな野々市の家たち。しかも三国は三国で、「かぐら建ては三国にしかない」と主張しています。前ヒラは三国からやって来たのか、野々市で発祥したのか、それとも別系統でありながら偶然、似た姿になっただけなのでしょうか。 |
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![]() 土蔵を住居に改築したものか。外観はやはり、かぐら建て風 |
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2015年6月14日撮影 |