長町
ながまち
武家町も冬の装い
金沢城の西に、加賀藩の中級武士が住んだ武家屋敷跡が残っています。ひがし茶屋街とともに金沢を代表する人気の町並みです。 |
【1】見通しを悪くするためのクランク状の道路。全国の武家町に共通する特徴です。 |
加賀藩は加賀のみならず、能登、越中をも領地とした100万石の巨大藩だっただけに、務める武家も大勢いました。城下町金沢には彼らの居住地が多数定められ、一部はいまも土塀の町並みを保存しています。それらのうち最も広範囲にわたって残されているのが長町です。 |
ところどころに門が開く土塀の町並み |
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武家屋敷は建築的には「町家」ではなく「農家」の血を引いていますが、いわゆる「農家」と決定的に違うのが、道路と私有地を隔てる仕切りをもつこと。仕切りには土塀、板塀、生垣などさまざまなタイプがあり、金沢では土塀が採用されています。 |
土塀の天敵が雪です。土を練り固めた土塀は濡れると表面がはがれ落ちるほか、ひび割れに浸み込んだ水が凍って膨張することによっても傷んでしまいます。そこで金沢では冬の間、土塀を守る薦掛けと呼ばれる装置を設置します。縄を編んだ単純なものなのですが、長町の土塀という土塀に掛けられていたのには驚きました。 |
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薦掛けは毎年新調します。いまでは11月のうちにあらかじめ市で準備しておき、12月1日に職員によって一斉に設置されます。撤去日は年によって変わりますが、3月15日前後とのことでした。 |
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この武家町を縁取るように流れているのが大野庄用水。犀川から水を引いた金沢最古とみられる用水で、16世紀末にはすでに完成していました。灌漑、防火、融雪などのほか物資の輸送路としても使われ、金沢城の築城にも貢献しました。 |
用水路と土塀 |
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長屋門も比較的多く残る |
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枡型(ますがた)の土塀 |
2007年4月30日、15年2月16日撮影 |