小立野
こだつの

水めぐる坂の寺町

兼六園から南東に続く高台が、加賀藩ゆかりの寺院が集められた小立野の寺院街になっています。台地の麓の斜面にいまも30以上の寺院が見られます。

【1】小立野は浅野川と犀川に挟まれた帯状の台地にあり、その中腹や麓に寺院が建てられています。
【2】小立野は加賀藩と関係の深い寺院が多く、気のせいか金沢のほかの寺町よりも立派な寺が多いように感じます。これは加賀藩家老・横山家の菩提寺だった松山寺。
【3】金沢は縦横に張り巡らされた用水路の町でもあります。松山寺の塀の下には、辰巳用水から分水し、源太郎川に通じる水路が流れています。

小立野寺院群は金沢に3つある寺町の中で最も範囲が広く、東西およそ2キロあります。中心を県道10号が貫き、道沿いはビル街になっていますが、裏手のところどころに寺院が集まり、静かなたたずまいを見せています。


小立野のメインストリート沿いの町並み


部分的に町家が残る


裏手には町家と寺院が共存。突き当たりは慶恩寺


天徳院山門

最も大規模な寺院が天徳院で、元和9(1623)年に3代藩主・前田利常が亡き正室・珠姫(たまひめ)の菩提寺として創建しました。現在の寺院は明和6(1769)年に再建されたもので、境内を回廊が取り囲む壮大な伽藍となっています。

寺院建築としては切妻・平入りが多く全体の4割を占めます。卯辰山山麓の項でも説明しましたが、本堂の裏手に墓地を配した寺院では、冬の屋根雪で本堂脇の通路が塞がれないよう、平入りが採用されました。また、平入りにすると本堂の前に雪が落ちてしまいますが、参拝の妨げにならないよう、中央に向拝を設置しています。


切妻・平入りの真行寺

旧奥村家の板塀と辰巳用水

小立野では県道に沿って辰巳用水が引かれています。犀川の水を金沢城内に引き込むための用水路で、寛永9(1632)年に完成しました。部分的に地下に埋設されていますが、天徳院門前や兼六園の東側では水路を見ることができます。とくに旧奥村家(現・金沢医療センター)では水路に沿って趣ある板塀が残り、見応えがあります。


松山寺の脇を辰巳用水の分水が流れる


【住所】石川県金沢市小立野3〜5丁目、石引1〜2丁目、本多町1〜2丁目、宝町、飛梅町、下石引町、東兼六町
【地図】トップ写真の撮影地点(松山寺)天徳院
【公開施設】多くの寺院が境内を一般開放している
【参考資料】
『金沢市卯辰山山麓寺院群区域伝統的建造物群保存対策調査報告書』金沢市、2006年

2015年2月16日撮影


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