上鈴屋
かみすずや

どちらが付属屋なのか

輪島市東部内陸地帯にある上鈴屋は、わずか10戸ほどの農村集落。村の真ん中を走る道路の北に居住地区、南に水田が広がっています。ここには平入りの主屋に負けないくらい、大きくて立派な付属屋が並んでいました。

【1】前庭を挟んで道路から10メートルほど下がった場所に、平入り2階建ての主屋を建てています。
【2】主屋の片側、もしくは両側に、妻入り2階建ての付属屋が建ちます。隠居屋や納屋だったものを増築し、子供世帯の住居としたものが多いようです。主屋に負けない立派なつくりで、一瞬「どちらが付属屋なのか」戸惑います。
【3】建物の陰になって見えませんが、主屋と付属屋は屋根付きの渡り廊下で連結されています。

輪島市の上鈴屋は鈴屋地区の東端に位置し、県道をさらに東へ行くと、八太郎(はったろう)峠を越えて珠洲(すず)市に入ります。ここは鳳至(ふげし)郡(現輪島市)と珠洲郡(現珠洲市)の境界の集落でした。


上鈴屋の集落景観


いまは静かな田園地帯

鈴屋川に架かる五里分(ごりわけ)橋は、当地が宇出津(うしつ)へ5里、飯田へ5里、輪島へ5里の位置にあることから名付けられています。いずれも奥能登の南岸、東岸、北岸における主要港です。1872(明治5)年ごろから1904〜05(明治37〜38)年ごろにかけて、鈴屋ではこれら3方面へ人馬や駕籠を出していました。ここは文字どおり奥能登における交通の要衝だったのです。
残念ながら宿駅時代を思わせる町並みはすでにありませんが、地区最東端の上鈴屋では風格ある農村風景を見ることができました。総2階建ての豪壮な主屋と、主屋とほとんど大きさの変わらない付属屋が交互に並ぶ光景は、日本の農村ではあまり見ることのできないものです。見たところ建築年はさほど古くはなさそうで、こうした光景は、もしかしたら戦後に完成されたものかもしれません。


平入りの主屋の隣に妻入りの付属屋、その向かいに土蔵を建てる


真壁の主屋と板張りの付属屋
地元の人は「ここらは土地が広いから、好きなように家を建てられた」と言います。「必要だったから建てた」というよりは、「遊んでいる土地があったから建てた」ということなのでしょうか。

主屋と付属屋は渡り廊下で連結される


【住所】石川県輪島市町野町鈴屋
【地図】トップ写真の撮影地点
【公開施設】なし
【参考資料】
『角川日本地名大辞典(17)石川県』角川書店、1981年

2014年5月4日撮影


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