今江
いまえ

過ぎ去りし河港の歴史

舟運で栄えた今江には、前川に沿って木造の蔵が建ち並ぶ光景が残されています。しかし訪れた日には大規模な護岸整備工事が行われており、果たして歴史的風景を残してくれるのか、不安の残る探訪となりました。

【1】今江潟(干拓により消失)と木場潟を結ぶ前川。水運の要衝でした。
【2】町並みから川に下りる道をコウド(河道)といいます。コウドの両側に古い蔵が建ち並んでいます。
【3】かつて今江では護岸を補強するたんころ石や、川舟が蔵の内部へ進入できる搬入口が見られましたが、こうした河港景観は急速に失われています。ここにあった歴史建築・釣月亭(きんげつてい)もすでになく、岸壁は大規模工事の真っ最中でした。

今江は小松空港の東2キロのところにある河港都市。木場潟と今江潟を通って日本海へ抜ける前川に沿った町です。今江潟は戦後の干拓事業で埋め立てられたため、現在、この「水の道」は機能していませんが、川の両側に板張りの倉が並ぶ景観を残しています。


前川の板倉


船番所跡のたんころ石

岸壁はかつて、たんころ石で補強されていました。これは直径30センチほどの円筒状の石です。現地の解説板には「能美丘陵に産出する凝灰岩を加工したもので、実用性と装飾性に心意気を感ずる」とありました。

たんころ石をはじめとする河港の名残は、しかし、近年急速に失われています。参考資料に掲載されていた「川舟による物資の搬入口をもつ建物」も取り壊され、現存しません。右は2012年9月撮影のGoogleストリートビューより拝借した、その建物の写真です。板倉の土台に、直径1メートルほどの穴(搬入口)が開いているのが見えます。ここが町並みのハイライトだと思っていたので、跡形もなくなっていることにショックを受けました。


在りし日の板倉 (C)Google


搬入口の倉があった場所

そればかりか護岸が大々的に整備されているのも気になります。河港都市の風景は、このまま「過去の遺物」として葬り去られてしまうのでしょうか。

地元では2008年に「今江・まえがわまちづくり協定」が策定され、先にあげた「搬入口のある倉」と、船着場をそなえた最後の建物だった釣月亭の2件が、「今江らしさを象徴する建築物」として挙げられています。しかし、この2件とも現存しないというのは、いったいどういうわけなのでしょうか。


護岸工事が進む前川沿い


石蔵も散見された

強い意思も決意もなく協定をつくったのか、そもそも保存するだけの能力がなかったのか、わたしには分かりません。けれども、協定をつくって10年もしないでこの有様では、町づくりに真剣に取り組んでいる他の地域に対して失礼だと思います。おそらく協定を「飾り」か「ファッション」と勘違いしているのでしょう。残念なことですが、今江町の歴史的風景は、この先もどんどん失われていくことでしょう。


町並みには赤瓦の家が多い


「あいさつ橋」から見た前川


【住所】石川県小松市今江町2・3・5・6丁目
【公開施設】なし
【参考資料】
『都市の文化と景観』文化庁文化財部記念物課監修、同成社、2010年
今江・まえがわまちづくり協定 手引書(PDF)

2015年6月15日撮


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