橋立
はしたて

北前船の申し子

橋立は北前船の寄港地として栄え、町内には船主や船頭が建てた邸宅が数多く残っています。真っ赤な加賀赤瓦が美しい町並みです。

【1】町を彩るのが加賀赤瓦。北前船に乗って越前や石見から伝来したとの説があります。
【2】よく見ると大棟が石で仕上げられています。越前で採れる高級石材の笏谷(しゃくだに)石です。主屋ばかりか、蔵や納屋も笏谷石をいただいています。
【3】主屋は敷地いっぱいに建てず、通りから少し離して建てられ、前庭を設けています。

橋立はもともと近江商人が所有する交易船の乗組員が集住した集落でした。江戸中期になると、彼らの中から独立して船主になる者が現れ、やがて富を築いた者たちが邸宅を建てていきました。1872(明治5)年には大火にあいましたが、時あたかも北前船の絶頂期で、すぐさま再興されました。これが現在見られる橋立の町並みです。


蔵六園前の町並み

北前船の里資料館の赤瓦

町並みを特徴付けるのが、何といっても加賀赤瓦です。この赤瓦は北前船に乗って、越前か、あるいは石見からこの地に伝来したという説があります。まさに北前船の申し子ともいうべき町並みですね。


見事に赤瓦で統一されている
また、越前で採れる笏谷石を多用しているのも特徴。家の大棟の材料としているほか、塀や石垣などにも使われています。目にまぶしい赤瓦と、しっとり落ち着いた灰青色の笏谷石のコントラストが、美しい橋立の町並みをつくり出しています。


整形した笏谷石を石垣とした家。主屋と蔵の大棟も笏谷石


北前船の里資料館、外観

一般公開されている北前船の里資料館(旧酒谷家)は橋立大火後の1876(明治9)年に建てられました。オエ(広間)は30畳もの大空間で、ケヤキやマツなどを惜しげもなく使った豪華な建物です。
外からは見えませんが、この家では座敷部分の床下に銅板を巻き、潮風による腐食を防いでいるそうです。


北前船の里資料館、オエ


橋立には外壁に板を張った土蔵が多い


笏谷石の石垣の上に板壁をめぐらしている


修景された家


【住所】石川県加賀市橋立町
【地図】トップ写真の撮影地点
【公開施設】北前船の里資料館、蔵六園
【参考資料】
『加賀市橋立の町並み 伝統的建造物群保存対策調査報告書』加賀市教育委員会、2004年

2007年5月3日撮影


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