合鹿
ごうろく

手をつないだ家と蔵

能登半島北部では、主屋と付属屋とを屋根付きの渡り廊下でつないだ民家形式をよく目にします。雪深い土地ならではの工夫なのでしょうか。

【1】合鹿集落にはトタンで覆われてこそいるものの、3軒の茅葺き民家が残っています。
【2】平入りの主屋の片側に妻入りの付属屋、反対側に蔵を建てています。付属屋はもとは納屋や隠居部屋で、その後2階を増築し、子ども部屋などとするケースが多いと聞きました。
【3】主屋と蔵が屋根付きの渡り廊下でつながれています。陰になって見えませんが、付属屋も同様に接続しています。

奥能登の内陸部には良質な古民家が多数残されています。とりわけ、国の重要文化財に指定された民家が3軒もあることは注目に値します(時国家、下時国家、黒丸家)が、古民家が群をなしている集落景観はそれほど残されていません。
そんな中、合鹿集落には3軒の茅葺き民家(トタン被覆)が残り、真壁造りの付属屋や土蔵、石蔵などとともに見事な景観を保持していました。


茅葺き民家が点在する合鹿の集落景観

主屋と蔵の連結部

これは合鹿に限ったことではないのですが、奥能登地方では主屋と付属屋を屋根付きの渡り廊下でつないだ家を多く見かけます。おそらくは冬期の雪対策と思われますが、話に聞いたところ伝統的な工法ではなく、後代の増築であることがほとんどだそうです。
確かに、古そうな土蔵の横に渡り廊下を接続しているのを見るに、この廊下が後補のものであることは明らかですが、どこもかしこもこうした建て方をしているのはすごいと思いました。

また、付属屋は真壁造りで2階建てのものが多く、これほどしっかりつくりこまれているのも珍しいことと思います。
比較的最近に建て直されたと思われる家にも真壁造りのものが見られました。


真壁造りの2階建て付属屋


比較的新しい真壁造りの家と石蔵


真壁造りの家も各棟を渡り廊下で接続している


能登では珍しい赤瓦の家があった

ところで合鹿は伝統的な木工職人集団・木地挽(きじひき)の里でした。木地挽とは、木地師と塗師が分業する前の、木地挽きから漆塗りまでを一手に担った人々のこと。これによってつくられた「合鹿椀」は輪島塗の原型になったといわれています。
合鹿椀はお椀や皿など、ろくろや旋盤を使って加工する挽物が主体で、古来の技法を伝えていましたが、明治以降に衰退。1930(昭和5)年、「最後の木地師」といわれた本谷三郎右衛門が没したことで途絶えました。
しかし最近になって能登出身の輪島塗師の大宮静時氏によって復活され、再び人々の知るところとなっています。


【住所】石川県鳳珠郡能登町合鹿
【地図】トップ写真の撮影地点
【公開施設】なし
【参考資料】
『角川日本地名大辞典(17)石川県』角川書店、1981年
全国商工会連合会

2014年5月4日撮影


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