大聖寺
だいしょうじ

道は舞台装置

金沢藩(加賀藩)の支藩、大聖寺藩の城下町だった大聖寺は、北国街道が通る交通の要衝でもありました。旧街道に沿って、平入りの商家が連続しています。

【1】大聖寺山田町の町並み。北国街道はここで左に90度曲がります。街道は大聖寺の市街で、何度も直角に折れ、そのたびに新たな町並みが眼前に広がります。目まぐるしく転換する舞台装置のようです。
【2】軒下に板を取り付けるのは、北陸の商家でよく見られる造作。このあたりでは「さがり」と呼びます。
【3】道の正面にそびえるのは願成寺。大聖寺は寺院の大屋根が目立つ町でもあります。

その地名から、大聖寺は門前町か寺内町であるかのように感じさせますが、ここは大聖寺藩の城下町であり、北国街道沿いの宿場町でした。大聖寺というのは白山本宮の別当・白山寺の末寺(白山五院)で、かつて郊外の錦城山にあったといわれています。しかし正確な所在地も、廃絶時期も定かではありません。


商家の家並み(大聖寺本町)


この家はうだつを高々と上げていた(大聖寺魚町)

大聖寺には歴史的な町並みがかなりの連続性をもって残されていて、北陸風の町家が数多く見られます。大きな特徴が1階の庇に取り付いた「さがり」と2階の袖壁です。庇を板葺きとした家も見られました。

北国街道は大聖寺市街で、右へ左へ何度も折れます。城下町ゆえ、防備を高めるためだったのでしょうか。ここでは町並みを西から順に紹介します。
まず、中町から鯰橋を越えて本町に入ると、右手に板張りの塔が見えてきます。木戸の開閉時間などを告げるため、寛文7(1667)年に創建された時鐘堂です。現在の建物は2003年に再建された6代目。街道はこの塔の下で右に折れます。


時鐘堂のある町並み(大聖寺本町)


本町から京町に向かう曲がり角の町並み(大聖寺本町)

そのまま200メートルほど進んだところで、今度は左へ。この曲がり角付近には平入り商家が多く残されています。時鐘堂からこのあたりまでが本町です。江戸時代には「はたご町」と呼ばれたそうですが、その呼称から宿場町・大聖寺の中心的な場所だったことがうかがえます。

本町の東の角から70メートル進むと右へ曲がり、京町に入ります。京町は城下町の中心部で、かつてはこの町の西端に時鐘堂がありました。明治以降も旧大聖寺町の町役場が置かれるなど、政治・経済の要であり続けました。


板葺きの庇をもつ町家が残る(大聖寺京町)


「さがり」の先に庇を付けた商家(大聖寺山田町)

京町に入って60メートルで、街道は再び右へ。この先が山田町で、京町とともに江戸時代の町人地の中心部だったところです。ここは大聖寺の町並みのハイライトといえる区間。「さがり」の付いた商家が並び、道の突き当たりに寺院の大屋根がそびえます。

山田町の町並み(大聖寺山田町)

歴史的景観をとどめる山田町は、およそ120メートル。願成寺にぶつかると、街道は左へ折れます。ここから先が鍛冶町。県道19号を越えると荒町です。


願成寺山門(大聖寺鍛冶町)


荒町の町並み(大聖寺荒町)

荒町も古い商家を多く残す地域。表側を改装しながらも、袖壁を掲げた家が並んでいました。街道はこの先で国道305号線に合流します。国道沿いにも平入り商家が点在していますが、連続性はなくなります。


【住所】石川県加賀市大聖寺本町、大聖寺京町、大聖寺山田町、大聖寺鍛冶町、大聖寺荒町
【公開施設】なし
【参考資料】
『角川日本地名大辞典(17)石川県』角川書店、1981年
NPO法人歴町センター大聖寺

2015年6月15日撮


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