荒谷・今立
あらたに・いまだち

山の民が建てた木の家

重要伝統的建造物群保存地区の「加賀東谷」は4つの集落で構成されています。県道153号線に沿って隣り合う荒谷と今立は、東谷の入口にあたる集落です。

【1】赤い加賀赤瓦が新緑に映えます。
【2】妻壁に柱と梁を見せて装飾とします。
【3】2階窓下には瓦を用いた装飾(飾り瓦)が入れられています。モチーフは家ごとに異なりますが、波型模様が多いように見受けられました。
【4】正面に平入りの長屋を組み合わせたような家も見られます。この長屋部分は土間になっていて、炊事場が設けられています。
【5】荒谷・今立は山の民の里。スギやケヤキなどの高級建材をふんだんに用い、冬の雪にも耐えるガッチリとした家を組み上げました。

加賀国江沼郡の最奥にあって「奥山方」と通称されていた地域が、現在では加賀東谷と呼ばれています。ここにある4つの集落――荒谷、今立、杉水(すぎのみず)、大土(おおづち)――は、いずれも江戸時代から加賀藩の御用炭をつくった炭焼きの村で、昭和戦後まで製炭業を営みました。


今立の町並み。赤瓦葺きの家が連なる


荒谷の町並み

荒谷は東谷の入口にあたる集落。山中温泉から続く県道153号線沿いにあり、1889(明治22)年〜1950(昭和30)年に存在した旧東谷奥村の役場が置かれるなど、一帯の行政拠点でした。現在でも東谷で最も人口の多い集落で、県道沿いに古い木造住宅が並んでいます。
荒谷から東へ数百メートルのところにある今立も景観は似ており、県道に沿って加賀赤瓦の家が連なります。

東谷の家のほとんどは、もともとは茅葺きの平屋でした。時代とともに作業場や台所などの機能を拡張し、2階を建て増したり、玄関の両脇を増築するようになりました。
これらの家の外観で目をひくのが妻壁の梁組み。新しい家ほど多くの梁を見せる傾向にあるようですが、明治4(1871)年に建てられた荒谷最古の民家も、繊細な梁組みを見せていました。


荒谷で最古、明治4(1871)年築のT家住宅

今立の家並み。左は1954(昭和29)年、右は1931(昭和6)年築


荒谷の1954年築の家。細かな梁組みを見せる

 


煙出しの小屋根。大棟は石でつくられている(今立)

2階の壁面下部の板状瓦も、建築年の新しい家で見られる装飾です。波型や魚を描いたものが多いのは、火除けの意味を込めたものでしょう。
これらに加え、屋根に乗せられた煙出しの小屋根も、家の外観に小気味よいリズムを加えています。

2階壁面に帯状の飾り瓦が入る(荒谷)

加賀東谷は国の重要伝統的建造物群保存地区ですが、選定から日が浅いせいか一般公開されている住宅はありません。しかし荒谷を歩いていて偶然「売り出し中の空き家を見ていかないか?」と声をかけられ、土間部分を拝見することができました。
東谷は山に暮らした集落のため、建築資材にはスギやケヤキなどの高級材がふんだんに使われています。拝見した家は昭和戦後の建築で、「古民家」というには比較的新しい家でしたが、至るところに立派な木材が使われていて、惚れ惚れする建築でした。
「東谷の中でも荒谷は加賀市街地に近いからオススメだよ」と口説かれ、土地付きの割にかなりの安値でしたが、仕事の都合もあるし、購入するわけにもいかず集落を後にしました。


荒谷の家の土間。太い柱や梁が、ここが雪国であることを思い出させた


【住所】石川県加賀市山中温泉荒谷町、山中温泉今立町
【地図】トップ写真の撮影地点
【公開施設】なし
【参考資料】
『加賀東谷 伝統的建造物群保存対策調査報告書』加賀市、2009年

2014年5月5日撮影


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