山町筋
やまちょうすじ

鋳物の町の不燃都市

富山第二の都市、高岡の北陸街道沿いに、土蔵造りの家並みが残っています。明治の大火後に新たに建造された不燃都市です。

【1】山町筋は1900(明治33)年の大火後に再建された町並み。家は耐火性のある土蔵造りで再建されました。
【2】高岡は鋳物の町です。下屋を支える柱や窓枠などには、高岡でつくられた作品が採用されています。
【3】袖壁にレンガやタイルを用いているのも耐火性を高めるためでしょう。

1900(明治33)年6月27日に発生した大火で、高岡は市街地の6割を焼失しました。東西交通の主要路、北陸道に面した山町筋も例外ではありませんでしたが、すぐさま再建事業に着手し、火に強い土蔵造りの家並みがつくられました。


佐野家住宅。2階に観音開きの銅扉をもつ

高岡の土蔵造りは外壁をしっくいで分厚く塗りごめ、2階の窓にも重厚な扉を設けたり、隣家との境にレンガ積みの袖壁を設けるなど、非常に無骨な外観をしています。しかし内部空間は軽快な数寄屋造りとするものが多く、銘木が贅沢に使われています。

そんな高岡商家を代表するのが重要文化財の菅野家住宅。黒しっくいでいかにも重厚な外観ですが、内部は別世界で、とくに奥の間の目の覚めるような朱壁に驚かされます。
また外観も、庇天井の鏝絵(こてえ)や、柱頭装飾をもつ鋳物の列柱など、細やかな意匠にあふれています。


重要文化財、菅野家住宅


菅野家住宅、庇の意匠


菅野家住宅、奥の間

交通量が多く、「いい絵」を撮るのに難儀する

山町筋では戦後、古民家の解体が相次ぎ、町並みの連続性が失われたことから、住民の間で保存運動が起こりました。それが実って2000年には国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されましたが、保存運動と並行してマンションの建設なども行われたため、全国の保存地区に比べ非伝統的建造物が目立っています。
初めて山町筋を訪れた2003年3月には、正直申し上げて非常にがっかりしたものですが、4年後に再訪して丹念に歩いてみると、重厚な蔵造りがそこかしこに残っていて、「マンション建設の荒波をよくぞ食い止めてくれた」と思うようになりました。


山町筋にはこうした洋風意匠をもつ家が点在


赤レンガは1914(大正3)年築の富山銀行。設計は東京駅を手がけた辰野金吾


【住所】富山県高岡市御馬出町、小馬出町、木舟町、守山町
【地図】菅野家住宅
【公開施設】菅野家住宅
【参考資料】
『未来へ続く歴史のまちなみ』全国伝統的建造物群保存地区協議会編著、ぎょうせい、2001年

2007年5月1日撮影


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