滑川
なめりかわ

コワキとコヤネが刻むリズム

滑川は北国街道の宿場町として、また、物資集散の港町として、江戸時代に繁栄しました。旧街道沿いには細かい格子戸を入れた商家が軒を連ね、町並み保存が推進されています。

【1】平入り、出桁(だしげた)造りの商家が並んでいます。ほぼ例外なく、1階・2階ともに大きな袖壁をそなえています。コワキと呼ばれ、防火・防音用とされますが、おそらくは装飾的なものでしょう。
【2】1階にはコヤネと呼ばれる庇を設けています。
【3】コヤネから下がる幕板は、富山ではガンギと呼びます。高さ30センチ超の立派なもので、玄関部分で上部をくり抜くのは北陸地方で広く見られる造形です。
【4】天窓をもつ家もたくさんあります。

滑川は慶長20(1615)年、加賀藩によって北国街道の宿場町として整備され、御旅屋(おたや)や問屋場が設けられました。また、宿場町のほぼ中央には中川という小川が流れていて、その河口は船着場として物資の集散で賑わいました。


中川のほとりの登録文化財、廣野家住宅(河浦町・寺家町)

旧宮崎酒造店舗兼主屋(瀬羽町)

滑川には「滑川宿まちなみ保存と活用の会」という団体があり、登録文化財の所有者などが会員となって町並み保存が進められています。
2014年4月現在、当地には8棟の登録文化財建造物がありますが、その筆頭は瀬羽町の宮崎家(旧宮崎酒造)でしょう。「店舗兼主屋」「麹蔵」「酒蔵」「衣装蔵」の4棟が登録されています。

宮崎家は薬売りでなした財を元手に酒造を始めた旧家で、弘化年間(1844〜48年)以降は養照寺と交代で本陣を務めました。
現在の主屋は慶応2(1866)年の大火後の再建とされ、2007年まで酒や家庭薬の製造・販売を営んでいました。店舗兼主屋には幅3間ものトオリニワがあり、その突き当たりには3棟の蔵が並んで、往時の繁栄ぶりをしのばせています。


旧宮崎酒蔵のミセには天窓からの光が降り注ぐ

旧宮崎酒蔵、トオリニワの奥に麹蔵(左)と酒蔵が並ぶ

永井家住宅。木口を黄色く塗っているのが珍しい(瀬羽町)

旧宮崎酒蔵のある瀬羽町は、滑川宿でも古い町家が多い地区。旧宮崎酒蔵の向かいにある永井家住宅、その隣の菅田家住宅(登録文化財)、さらに少し離れたところにある城戸家住宅などは、コワキとコヤネ、格子をそなえた良質な町家です。


登録文化財、城戸家住宅。明治前期の再建(瀬羽町)


菅田家住宅。前面すべてに蔀戸(しとみど)を入れる(瀬羽町)

小沢家住宅(登録文化財)は滑川宿に残る唯一の土蔵造りの建物。明治後期に建てられたもので、黒しっくい塗りの外壁が目をひきますが、1階には奥行き1間ものコヤネ(庇)が付けられています。しかもコヤネ上面は上にふくれたむくり屋根になっていますが、土蔵造にむくりの庇が付くのは全国でも珍しいと思います。


登録文化財、小沢家住宅(荒町)

格子をはめた家が並ぶ(大町)

滑川宿にはほかにも数々の明治・大正期の建物や、戦前の洋風建築が残っています。「保存と活用の会」の動きが町並み全体に広まることを期待しています。


【住所】富山県滑川市瀬羽町、橋場町、大町、河浦町、寺家町、荒町
【地図】旧宮崎酒造
【公開施設】旧宮崎酒造店舗(催事期間中のみ公開)
【参考資料】
パンフレット「滑川宿の原点がここにある。滑川宿まちなみ案内」

2014年5月2日撮影


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