黒部川扇状地
くろべがわせんじょうち

扇状地の村づくり

黒部川扇状地は面積96平方キロにもおよぶ、日本屈指の扇状地。同じ富山県には、日本最大の散村が広がる砺波(となみ)平野があるため、その陰に隠れがちですが、ここ黒部川扇状地でも見事な散村景観が見られます。

【1】扇状地の三方を雪山が囲みます。山々の雪解け水はやがて黒部川へ注ぎ、伏流水となって、扇状地の至るところで湧き出ます。
【2】度重なる洪水に悩まされてきた扇状地には、治水の史跡があちこちに。松並木はかつての堤防の跡です。
【3】扇状地の家はカイニョと呼ばれる防風の屋敷林を備えています。

扇頂(扇の要)から扇端までの長さが13.5キロにもなる広大な扇状地が、黒部川の両岸に広がっています。昔から黒部川の氾濫に悩まされてきた土地で、村の歴史はそのまま治水の歴史でもありました。


黒部川扇状地の景観(舟見山自然公園にて撮影)

カヤケ(入善町浦山新)

初期の堤防は「川除け」が転じて「カヤケ」と呼ばれています。現在、入善町浦山新に、20本ほどの松を植えたカヤケが保存されています。

明治時代になると、オランダ人技師デレーケの指揮のもと霞堤が築かれました。これはいわゆる信玄堤と同じ構造の堤防で、川の両岸にハの字型の堤防を何本も設けたもの。一直線に土手を築くのではなく、部分的に切れ目を入れておき、増水時に水を遊ばせ、威力を弱める効果があります。霞堤は規模が大きく、現地では全貌をとらえることができませんが、地図や航空写真で確認できます。


黒部川右岸に残る霞堤(入善町小摺戸付近)。川の上方に、カタカナの「ミ」のように何本もの堤防が走る (C)NTT空間情報/Yahoo Japan

玉石垣と板塀をもつ農家(入善町墓ノ木)

こうした治水事業によって暮らしの安全が担保された扇状地ですが、実は扇状地という場所は地形形成的に見て砂礫地であることが多く、水はけがよすぎるため、稲作には不向きです。黒部川扇状地でも「ザルの上で米をつくっているようなもの」といわれていました。
そこで1951(昭和26)年から10年をかけて、山で採取した赤土を用水路に流し、扇状地一帯に送り込む土地改良事業が行われ、米の収量を大幅に高めることができました。直線・直角に水田が配された扇状地の景観は、このときにできあがりました。

いま黒部川扇状地を歩くと、見事な水田地帯のところどころに、まるで島のように屋敷が浮かんでいるのを見ることができます。100〜200メートルほどの間隔をあけて点在する家々は、西からの季節風を防ぐための屋敷林をそなえています。


水田に屋敷が点在する(入善町浦山新)

屋敷林に守られた家(入善町小摺戸)


名主を務めた旧家(入善町小摺戸)


【住所】富山県下新川郡朝日町、下新川郡入善町、黒部市にまたがる。今回、主にめぐったのは入善町の小摺戸と浦山新
【地図】トップ写真の撮影地点
【公開施設】なし
【参考資料】
『写真情報誌にゅうぜん水の町 富山県入善町町勢要覧2013』入善町役場

2014年5月2日撮影


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