金屋町
かなやまち

アトリエは秘められて

高岡市は銅器の国内シェア95パーセントを占める町。高岡銅器の発祥地が金屋町で、いまも老舗の工房が軒を連ねています。鋳物師の工房は各家の最も奥にあります。

【1】一見しただけではふつうの町家が連なっているようにしか見えません。鋳物師の作業場は主屋の裏、中庭を挟んだ奥にあります。作業場で火が出た際のリスクヘッジというわけです。
【2】町並みを彩るのは千本格子と、鋳鉄製の手すりや柱。やはりここは鋳物の町なのです。
【3】通りや公園では銅像のモニュメントがたくさん見られます。

金屋町の歴史は慶長16(1611)年、千保(せんぼ)川西岸に、礪波(となみ)郡西部金屋(にしぶかなや、現高岡市)の鋳物師7人が移住したことに始まります。加賀藩主の前田利長が、当地の繁栄のために産業を興そうとしたもので、当初は主に鉄器をつくっていましたが、次第に銅器をつくるようになっていきました。


金屋町の町並み。天窓をもつ家が多い

庇の幕板に透かし彫りが施されている

鋳物師は常に火を使います。そのため火が出ても城下に被害が及ばないよう、金屋町は城下の対岸に置かれました。それぞれの家においても作業場は最も奥に置かれ、万一の火災にそなえた町づくり、家づくりが行われています。


出格子に千本格子が入る

各家の基本的な建物配置は、正面から主屋、中庭、土蔵、作業場となっています。土蔵にはトマエと呼ばれる覆い屋があり、そこは日用品の一時保管所などとして使われました。
また、トマエは主屋の後方から作業場へ通じる場所にあるため、ここに鉄製の防火扉を設けるのが一般的です。火災時には扉を閉め、隙間に味噌や泥を詰めて延焼を防ぐことになっていました。


右の家にかぶせるように、左の家が増築されているように見える

しかし幸い、金屋町では大きな火災が起きたことはなく、市の6割を焼失した1900(明治33)年の高岡火災でも延焼をまぬかれました。
現在、金屋町で一般公開されている住宅はなく、トマエや鉄扉のある独特の家の様子をうかがい知ることはできません。2012年の重要伝統的建造物群保存地区選定を機に、今後、一般公開される町家が現れることを期待したいと思います。


【住所】富山県高岡市金屋町、金屋本町
【地図】トップ写真の撮影地点
【公開施設】なし
【参考資料】
『鋳物師の町並み 金屋町・内免 伝統的建造物群保存対策調査報告書』高岡市教育委員会、金屋町伝統的建造物群保存対策調査委員会、2011年

2003年3月6日、14年5月2日撮影


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