雪ノ下
ゆきのした

二つの時代の王座

雪ノ下は古都鎌倉の要、鶴岡八幡宮の周辺の地名。鎌倉時代の遺構の上に、行楽地・別荘地としての歴史が重なっています。

【1】鶴岡八幡宮の参道、段葛(だんかずら)。鎌倉に残る数少ない鎌倉時代の構造物です。
【2】鎌倉時代、段葛の両脇には有力御家人が居を構え、幕府を防備していました。しかし当時の町並みは残されていません。
【3】室町時代以降、漁村となっていた鎌倉が再び脚光を浴びたのは江戸時代。庶民の行楽地となって商店が軒を連ねました。現在も参道にはツシ2階建ての商店建築が残っています。
明治以降は別荘地として人気が高まり、雪ノ下の路地裏にも瀟洒な別荘建築が建てられました。

鎌倉には鎌倉時代の建造物は1棟も残されていませんが、「土木構造物」は現存例が多く、切通し、切岸(きりぎし)、やぐらなどが随所に見られます。鶴岡八幡宮の表参道である段葛も往時の遺構で、雪ノ下の町はその北半部から八幡宮の後方にかけて広がっています。


鶴岡八幡宮の表参道、段葛

段葛に沿って歴史建築が散見される。左手前は1936(昭和11)年の湯浅物産館

雪ノ下は鎌倉時代、北条氏、和田氏、畠山氏、三浦氏など有力御家人の邸宅があった場所です。しかし幕府滅亡(元弘3=1333年)後は往時の家並みは失われ、鎌倉は一介の漁村になってしまいました。
江戸時代に入ると庶民の行楽地として注目を集め、1889(明治22)年の横須賀線開通後は文化人の別荘地としていっそう華やぎました。

雪ノ下には別荘地時代の面影が色濃く残り、鎌倉石の石垣や生垣、門などが連なる落ち着いた町並みが広がっています。別荘の多くは鬱蒼と茂る庭木にさえぎられ、なかなか全貌を見せてくれませんが、草木の間からわずかに臨む屋根飾りやステンドグラスに、別荘地として全盛を誇った時代が感じられます。

   

野尻邸。1919(大正8)年ごろ。板塀の節穴から茅屋根がのぞく

鎌倉市は「景観重要建築物等」の指定制度を設けており、市内各所の別荘建築も多くが指定されています。ほとんどの別荘がいまも居住中のため公開は難しいでしょうが、地域の財産としていつまでも大切にしてほしいものです。


川合邸。1922(大正11)年。庭木の間から出窓のステンドグラスが見える

川合邸の隣にある別荘建築

江戸時代の民家を移築した旧川喜多邸別邸

石島邸。左の旧川喜多邸別邸のハス向かいにある


【住所】神奈川県鎌倉市雪ノ下1〜3丁目
【公開施設】旧川喜多邸別邸(鎌倉市川喜多映画記念館内・外観のみ)

2014年10月19日撮


戻る