小原
おばら

華麗なる転身

日本橋から数えて甲州街道9番目の宿場が置かれた小原は、神奈川県下で唯一、本陣が現存する町。しかし街道沿いには旅籠建築はなく、明治時代に養蚕集落へ転身しました。

【1】甲州街道の両側に、本2階建ての民家が並びます。小原は1890(明治23)年の大火でほぼ全焼したため、現存する家並みはその後再建されたものです。
【2】2階部分がせり出した出桁(だしげた)造りになっています。こうしたつくりを取り入れた理由としては、養蚕の空間を広く取るため(2階では養蚕が営まれました)という説や、養蚕で財をなし、家を豪華に見せるようにしたためという説があります。
【3】こちらの民家は梁が壁の外に飛び出ていますが、2階はせり出していません。

江戸を出て甲州道中を行く旅人にとって最初の難所が小仏峠。この峠を抜けて最初の宿場が小原宿です。小原宿はひとつ甲府寄りの与瀬宿と一対の宿場となっていて、甲府方面へ向かう旅人のみが宿泊しました。(江戸へ向かう旅人は与瀬宿に泊まり、小原宿は通過しました)。
こうした宿場は「片継の宿場」と呼ばれます。小原宿は全長300メートル足らずの小規模な宿場でしたが、峠道にあるという立地上、非常に重要な宿場で、富士講や身延講の旅人も立ち寄ったようです。


現在の小原の町並み

小原宿本陣の風格ある式台玄関

江戸時代の宿場町をしのばせる建物として、間口13間の豪壮な本陣が現存しています。当主の清水家はもとは小田原北条家の家臣で、江戸開幕後は徳川家より許可を得て、小原で本陣、庄屋、問屋などを担いました。
本陣は大名や幕府要人が宿泊しただけあって、さすがに格調高いデザインです。入口には式台玄関がしつらえられ、大名が宿泊した「上段の間」には精緻な付書院も見られます。

しかし建物としては農家がベースになっているようで、屋根は山梨から東京・多摩地方にかけて見られるかぶと造り。それも現存例の少ない「二重かぶと」と呼ばれる形式となっています。かぶと造りでは両端の屋根を切り落とし、壁に開口部を設けることで屋根裏の風通しを確保しています。これは屋根裏で養蚕を営んだためです。


かぶと造りの特異な概観


本陣の「上段の間」

小原宿は明治時代にほぼ全焼したため、旅籠建築は本陣を残して現存していません。火災後には、多くの家が養蚕農家として再建されました。これらの農家が現在の町並みを構成しているのですが、平入りの2階建て建築が並ぶさまは壮観で、関東ではきわめて貴重な存在です。


見事な出桁造りの永楽屋

伝統的な姿をよく残す伊勢屋。2階のせり出しは70センチほど

出桁造りでは2階を支える梁の小口(切口)が白く塗られています。これは切口の防腐処理なのですが、全身こげ茶色の建築の前面に白い小口がリズミカルに並ぶのは、出桁造りの最も美しいところだと思います。


小松屋。1階と2階に梁の小口が並ぶ

新しい家にも出桁風の意匠があった

街道沿いには土蔵も多く残っている


【住所】神奈川県相模原市緑区小原
【公開施設】小原宿本陣
【参考資料】
パンフレット「小原宿散策ガイド」小原宿活性化推進会議、2013年

2013年11月16日撮影


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