大山
おおやま

雨乞いの山で

古くから雨乞いの山として信仰を集めてきた大山には、「雨降り神社」こと阿夫利(あふり)神社が祀られています。この山の南東の山腹にあるのが、その名も大山集落。江戸時代に盛んだった大山詣でをする人々を先導した御師(おし)が暮らし、いまに残るたくさんの宿坊がその歴史を伝えています。

【1】大山に至る山道の両側に御師住宅が連なります。いまも約50軒が宿坊として現役で、歴史的風致をよく残しています。
【2】江戸にはいくつもの大山講(いうなれば登山サークル)があり、それぞれ定宿をもっていました。宿坊の垣根は、彼ら信者が寄進した石柱でつくられています。
【3】門や玄関に注連縄を掛けた家も少なくありません。宿坊は単なる宿泊施設ではなく、祭祀も執り行う聖なる空間だからです。

大山は江戸時代を通じて、関東周辺の庶民に最も信仰された山のひとつ。江戸から相模にかけては、大山に至る「大山道」が網目状にめぐらされていました。現在、渋谷から世田谷に抜ける国道246号線も旧大山道ですし、板橋区の大山はここが大山道との分岐点にあったことで付けられた地名です。


雨乞いの山、大山に祀られている阿夫利神社

屋根勾配のゆるやかな御師住宅

大山集落は大山の登山口に開けた門前町で、御師と呼ばれる宗教家が集住しました。御師は登山者の案内人を務め、自らの居宅を宿坊とし、室内では儀礼も執り行いました。御師住宅の入口に注連縄が掛けられているのはそのため。敷地内にはみそぎを行う池があり、室内には儀礼用の空間も設けられています。

大山集落の特徴のひとつに、各家の周りに柵のように立てかけられた石標(門柱)があります。これはそれぞれの宿坊を定宿とした講中が寄進したもので、1本1本に寄進者の名が刻まれています。大山は雨乞いの山で、古くから農民に篤く信仰されました。寄進者銘には青果商や市場関係者の名前がずらりと並んでいます。


寄進者名は石垣にも彫られている

神田市場の名が刻まれた石標

軒下に講中札を掲げた宿坊もある。しゃもじは「願いを救う」と読ませる縁起物

大山は1923(大正12)年の関東大震災と、その後の土石流で被害を受けたため、江戸・明治にさかのぼる建物はそれほど残されていません。しかし、大山の西の登山口である蓑毛の御師集落が震災後に廃れたのに対し、大山集落はその後復興し現在に至っています。
近年は観光開発が進んで古い家の建て替えも進んでいますが、精進料理の豆腐を提供する宿坊や土産物屋が軒を連ね、門前町の風情にあふれています。


宿坊は建て直されても、寄進された石柱は昔のまま

こちらは主屋も歴史がありそうなたたずまいだった

比較的、新しい住宅が並ぶ

土産物店が並ぶ登山道


【住所】神奈川県伊勢原市大山
【公開施設】なし
【参考資料】
『写真でみる民家大事典』日本民俗建築学会編、柏書房、2005年

2010年3月20日撮


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